当時としては和歌の新しい形式である「百首歌」を創始し、さらに1年を360首に歌いこめた「毎月集」を作った。当時の有力歌人であった源順・大中臣能宣・源重之らと交流があったが、偏狭な性格で自尊心が高かったことから、社交界に受け入れられず孤立した存在であった。新奇な題材や『万葉集』の古語を用いて斬新な和歌を読み、平安時代後期の革新歌人から再評価された。
『拾遺和歌集』(9首)以下の勅撰和歌集に94首入集[2]。家集に『曾丹集』がある。小倉百人一首
46番(及び『新古今和歌集』恋一1071)より。
- 由良の門を 渡る舟人 梶を絶え 行方も知らぬ 恋の通かな