朝倉村 (愛媛県)
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| あさくらむら 朝倉村 | |||||
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| 廃止日 | 2005年1月16日 | ||||
| 廃止理由 |
新設合併 今治市、朝倉村、菊間町、大西町、波方町、玉川町、吉海町、宮窪町、伯方町、上浦町、大三島町、関前村 → 今治市 | ||||
| 現在の自治体 | 今治市 | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 |
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| 地方 | 四国地方 | ||||
| 都道府県 | 愛媛県 | ||||
| 郡 | 越智郡 | ||||
| 市町村コード | 38341-5 | ||||
| 面積 | 31.27 km2 | ||||
| 総人口 |
4,816人 (国勢調査、平成17年) | ||||
| 隣接自治体 | 今治市・東予市・越智郡玉川町 | ||||
| 村の木 | 楠 | ||||
| 村の花 | ツツジ | ||||
| 朝倉村役場 | |||||
| 所在地 |
〒799-1692 愛媛県越智郡朝倉村大字朝倉北甲397番地 | ||||
| 座標 | 北緯33度59分46秒 東経133度01分19秒 / 北緯33.99606度 東経133.02192度座標: 北緯33度59分46秒 東経133度01分19秒 / 北緯33.99606度 東経133.02192度 | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
朝倉村(あさくらむら)は、かつて愛媛県の東予地方にあった村。越智郡に属した。
隣の旧今治市等から住宅を求めて転居する人があり、国内でも数少ない人口が増加していた村でもあった。「村」とはいえ、人口が約五千人と愛媛県内の他の「町」と比べても遜色ない存在であった。愛媛県では最後の村の一つであり、消滅により県内から村が消えた[1]。
国内でただひとつの場外舟券売り場がある村でもあった。
位置・地形
歴史
略史
中世以前
- 斉明天皇が立寄られる(上記、村名の由来参照)。
- 古くから朝倉郷とよばれ、ほぼ朝倉村の区域に相当する。遺構が多数あり、国府に近いこともあって、開けていたものと推察される。
近世
- 江戸時代初期には、朝倉上、朝倉中、朝倉下、古谷(こや)の4か村があった。
- 江戸時代後期には、朝倉郷7か村に分かれていた。そのうち、古谷、山口、朝倉上、朝倉南、朝倉北は今治藩に、朝倉上之村は松山藩に、朝倉下は幕府領であるなど、支配関係は入り組んでいた。また、境界も複雑に入り組んでいた。
明治以降
- 1879年(明治12年) - 朝倉南北村が成立。
- 1885年(明治18年) - 南北に分離。
- 1889年(明治22年) 12月15日 - 町村制施行にともない、朝倉上, 朝倉上之村の2村で上朝倉村となる。残りの朝倉下村, 朝倉南村, 朝倉北村, 古谷村, 山口村で下朝倉村となる。
- 1956年(昭和31年) 3月31日 - 両村の合併により朝倉村となる。
- 1960年(昭和35年) - 役場庁舎が落成。上朝倉支所を廃止。
- 1966年(昭和41年)4月 - 村立上朝倉中学校と村立下朝倉中学校が統合し、村立朝倉中学校となる。
- 1971年(昭和46年) - 朝倉村章を制定。
- 1972年(昭和47年) - 玉川町・朝倉村ごみ処理組合を設立。
- 1980年(昭和55年) - 中央公民館が落成。
- 1981年(昭和56年) - 朝倉ダムが完成。
- 1983年(昭和58年) - 福祉センターが完成。
- 8月 - 一広が朝倉工場を設置。
- 1984年(昭和59年) - 役場庁舎を新築。
- 1987年(昭和62年) - 笠松住宅団地(96区画)が完成。朝倉村民憲章を制定。
- 1989年(平成元年)12月 - ハートウエル朝倉工場が完成[2]。
- 1990年(平成2年) - ふるさと農産品加工場がオープン。頓田川沿岸地区県営かんがい排水事業が観光。
- 1991年(平成3年)
- 4月 - 今治市クリーンセンターにごみ処理の委託を開始。
- 9月 - 緑ヶ丘団地(96区画)が完成。
- 1993年(平成5年)1月 - 愛媛県初の競艇場外販売場としてボートピア朝倉がオープン。
- 1994年(平成6年) - 臼坂ふるさと交流館がオープン。
- 1995年(平成7年) - 三世代交流センター(デイサービスセンター)オープン。朝倉ダム湖畔緑水公園がオープン。
- 1996年(平成8年) - 住民センター完成。福岡県朝倉町と友好町村協定を締結、
- 1997年(平成9年) - 朝日ヶ丘団地(27区画)が完成。牛神古墳古墳公園が完成。
- 1998年(平成10年)3月 - 緑のふるさと公園が完成。
- 1999年(平成11年)4月 - 朝倉ふれあい交流センターが開館。
- 2000年(平成12年)4月 - タオル美術館ASAKURA(現:タオル美術館ICHIHIRO)が開館。
- 2001年(平成13年) - 児童館・老人憩いの家がオープン。
- 2005年(平成17年) 1月16日 - 今治市・越智郡11箇町村の合併により自治体としての歴史を閉じる。
沿革
朝倉村の系譜
(町村制実施以前)(明治期)(昭和の合併) (平成の合併)
町村制施行時
朝倉上 ━━━┓
┣━━━上朝倉村━━━━━┓
朝倉上之━━━┛ ┃昭和31年3月31日
┃ 合併
朝倉下 ━━━┓ ┣━朝倉村━━━━━━┓
朝倉南 ━━━┫ ┃ ┃
朝倉北 ━━━╋━━━下朝倉村━━━━━┛ ┃
古谷 ━━━┫ ┃
山口 ━━━┛ ┃平成17年1月16日
┃新設合併、新・今治市発足
今治市━━╋━━今治市
玉川町━━┫
波方町━━┫
大西町━━┫
菊間町━━┫
吉海村━━┫
宮窪町━━┫
伯方町━━┫
上浦町━━┫
大三島町━┫
関前村━━┛
(注記)今治市以下の市町村の合併以前の系譜はそれぞれの市・町・村の記事を参照のこと。
行政
平成の市町村合併の経緯
- 朝倉村としては、越智郡陸地部とともに地域の中心都市である今治市と合併することについて、村内でこれといった異論は出なかった。
- 一部、旧:東予市で朝倉村に接している黒谷では分離のうえ今治のグループに加わろうという動きがあった。同集落の住民は東予市街地へ出る際、朝倉村を通過する必要があったためであるが、集落の総意とならず実現もしなかった。
歴代村長
教育
高等学校
- 村内に高等学校はない。
中学校
- 朝倉中学校
小学校
- 朝倉小学校[3]
保育園
- 私立朝倉保育園
- 私立龍門保育園
その他
- JFAアカデミー今治 - 日本サッカー協会(JFA)が今治市と連携して推進する中学校3年間を対象としたエリート教育・養成機関。上朝小学校跡地に開設された。
産業
農業
主な農産物としては、米の他、キュウリを中心とした野菜類が挙げられる[4]。キュウリ栽培は葉タバコの後作として栽培された夏秋キュウリに始まり、1966年に国の産地指定を受け、従来の自給的栽培から急速に進展した[4]。
その後、生産者の高齢化や他の野菜栽培が盛んになるにつれてキュウリの栽培は衰退[4]。代わって野菜栽培の主力になったのはイチゴで1970年頃からビニール栽培で施設野菜として導入された[4]。
製造業
旧今治市内に立地していたタオル工場が工場の大型化に伴って、敷地自体が手狭となる中で朝倉村に進出した。村では雇用の場の促進、働く場所の確保、工場進出による地方税収入への期待も出来る事から協力を行っていた。1984年に一広、1987年に宮崎タオル、1990年にハートウエルが進出している[5]。
主な主要企業
小売店
- 彩咲あさくら - 越智今治農業協同組合が運営。金融店舗とスーパー、飲食のできるカフェスペースが一つのフロアとしてつながった、全国でも珍しい新しい形の店舗となっている[6]。
金融機関
交通
観光

史跡
公園
博物館・展示施設など
- 朝倉ふるさと美術古墳館 - 朝倉緑のふるさと公園内に立地する考古資料館。
- タオル美術館ICHIHIRO - タオルとアートが融合した美術館。県内外から年間30万人以上が訪れる観光スポットとなっている[12]。
その他
- 今治カントリー倶楽部
- ボートピア朝倉 - 丸亀競艇場の場外発売所。
宿泊施設
- 朝倉ふれあい交流センター - 朝倉緑のふるさと公園内に立地する公営の宿泊施設。
祭事・催事
- あさくらサマーフェスタ(8月)
- 朝倉地域文化祭(11月)
