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朝霞少女監禁事件

大学生によって少女が誘拐され2年間に渡って監禁されていた事件 From Wikipedia, the free encyclopedia

朝霞少女監禁事件(あさかしょうじょかんきんじけん)は、千葉大学に通う大学生によって少女が誘拐され2年間に渡って監禁されていた事件。

概要

行方不明と捜索

2014年3月10日朝霞市立朝霞第三中学校に通う中学1年生の少女(当時13歳[注釈 1])が行方不明となる。自宅には探さないでと書かれたメモが残されていた。それから10日後には、迷惑をかけてごめんなさいと書かれた手紙が自宅に届けられた。行方不明の前には自宅前で若い男と話す姿が目撃されていた[2]

行方不明から丸1年を迎える2015年3月15日には、埼玉県警察北朝霞駅志木駅上尾駅で警察官が8000枚のチラシを配布して情報提供を呼びかけた。これには行方不明になった少女の父親も参加した。このときの父親は一年も捜索活動が続くとは思っていなかった[3]

監禁の状況

男は朝霞市内で少女を誘拐後、千葉県アパートの自室に監禁。玄関やベランダに外鍵を設置し、脱出が不可能な状態にした。また、男は少女の食事にアサガオの種から抽出した有害成分を混入し朦朧とさせた状態で、「私は捨てられた、帰る場所はない」と復唱させ洗脳を試みた。 また、新潟少女監禁事件の資料やオウム真理教の洗脳ビデオなどを参考に監禁や洗脳についても研究していた。 少女は監禁から1ヶ月後の2014年4月に男が外鍵の施錠を忘れた隙を見てアパートから脱出した。その後、公園に向かい周囲の人に助けを求めたが断られてしまい、少女は再び自らアパートに戻った。 少女を監禁中に友人と二人でドライブに赴いたり、妹と国内旅行をしたりと自宅を長時間離れることも頻繁にあったという。 2016年2月25日に男は千葉県内のアパートから東京都中野区へ引っ越し、少女も連れ出すことに成功している。 少女は監禁中にパソコンを与えられ、動画サイトなどを閲覧することを許可されていたため、そこで自分の名前を検索した際に両親が捜索していることを知り、二度目の脱出を試みる。 同年3月27日、男が玄関の鍵をかけ忘れた際に脱出している。

発見と保護

少女は2016年3月27日に警視庁に保護される。少女は東中野駅公衆電話から母親に助けを求める電話をかけて、そこで母親は110番通報するように伝えて自らも通報した。それから駆けつけてきた警察官に保護された[4]

3月28日、男は静岡県伊東市まで逃亡し、「死のうと思ったが死に切れなかった、警察を呼んでほしい」と通りがかりの新聞配達員に話しかけ、救助を求めた[5]。発見されたときの男は全身血だらけの状態で、自身の首をカッターナイフで切りつけつ自殺を図っていた[6]埼玉県警察は未成年誘拐の疑いで指名手配していた男の身柄を確保した[6]

その男は同年3月に千葉大学の卒業を認定され就職先も決まっていたが[6]、同大学は29日にその男の卒業を取り消した[注釈 2][8]

裁判

2016年9月26日にこの事件の初公判がさいたま地方裁判所で開かれる。そこでは少女には誘拐から約1ヵ月後に逃げ出したものの、助けを求めた人々には話を聞いてもらえずに男の部屋に戻っていたと語られた[9]

2017年8月29日に判決公判が開かれた。そこでは男は奇声をあげながら入廷して、「私はオオタニケンジです。職業は森の妖精です。私はお腹が空いています。今ならからあげ君一個増量中」と言ったり、日本語が分からないなどと主張した。このことから裁判長は言い渡しの延期を宣言した[10]2018年3月12日にさいたま地方裁判所で延期をされた判決公判が開かれ、懲役9年が言い渡された[11]

2019年2月20日には控訴審判決公判が東京高等裁判所で開かれ、一審判決を破棄し懲役12年が言い渡された[12]

脚注

関連項目

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