朝顔狗子図杉戸
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杉の戸に描かれた書院障壁画である[1]。縦が168.3cm、横が81.4cmの板2枚に着色したものである[2]。
朝顔の花が咲いている野に遊ぶ5匹の子犬が描かれている[3]。右側の戸に子犬が3匹、左側の戸には2匹描かれている[3]。子犬はいずれも丸々とした体型でデフォルメされている[4]。一番右に描かれている白い子犬は茶色の子犬の背によりかかっており、その左側には首をかしげている別の白い子犬がいる[3]。この白い子犬は茶色い子犬と目を合わせている[5]。左の戸に描かれた茶色の子犬は朝顔のツルの部分をくわえて遊んでおり、一番左側の白い子犬は後足で首をかいている[3]。この子犬の足の裏は茶色く土で汚れており、外で遊んだ後であることがわかる[3]。朝顔の花には群青、葉には緑青、犬には泥絵具が使われている[6]。板の地が透けて見えないよう、子犬の部分には絵の具がしっかりと塗られている[7]。

制作背景
1780年代に応挙はさまざまな神社や寺院から障壁画制作の依頼を受けている[8]。「朝顔狗子図杉戸」は1784年、尾張国(21世紀の住所では愛知県海部郡大治町馬島)にある天台宗の寺院である明眼院の書院の廊下の引き戸として制作された[3][9]。明眼院はその名のとおり眼病の治療を実施しており、応挙もこの寺の世話になったことがあるのでお礼として襖絵などを描いたと言われている[9]。応挙が明眼院のために描いた障壁画類は全て眼病治療のお礼だという説がある一方[10]、「朝顔狗子図杉戸」などは眼病治療のお礼とは別のものとして描かれたのではないかという指摘もある[11]。円山応挙52歳の時の作品である[12]。同じ頃、応挙は明眼院のために「老梅図」、「芦雁図」、「老松図」なども描いたと考えられている[13]。

子犬は庶民的な画題としてよく取り上げられており、中世絵巻から俵屋宗達まで日本絵画にもさまざまな先例がある[12]。円山応挙は「動物の子どもが遊ぶのを描くのが得意[14]」であり、とくに子犬の絵が巧みで、「平民画家、応挙ほどにやさしく愛情をこめて「仔犬図」を描き、世間の人気を博した画家はなかった[12]」と言われるほどである。応挙は戌年以外の時期にも頻繁に子犬の絵を描いているため、「単純に子犬が好きだった[15]」と考えられている。応挙の子犬の絵は人気があったため掛軸が多数残っているが、板戸が残っているのは珍しい[14]。
