木下郁
日本の政治家、弁護士 (1894-1980)
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略歴
大分県宇佐郡安心院村(現宇佐市)出身。旧制宇佐中学校(現宇佐高校)、旧制第五高等学校を経て、1918年に東京帝国大学法科を卒業。三井物産、兵役、英語教師(旧制大分中学校(現大分上野丘高校))、イギリス・ドイツ留学を経て、1926年に弁護士となる。
太平洋戦争下の1942年に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)において、翼賛政治体制協議会の推薦を受け当選。終戦後の1945年10月には衆議院議員のまま大分市長となり、さらに日本社会党に入党。しかし、翼賛議員であったため公職追放を受ける。追放解除後は、2度にわたり衆議院議員に当選した。
1955年4月には、革新統一候補として知事選挙に立候補し、官選時代からの現職である保守系の細田徳寿らを破って初当選。以後、1971年まで4期16年にわたって県知事を務めた。大分県で初めての革新知事であったが高度経済成長に合わせた産業政策を採り、大分臨海工業地帯の造成によって大分県の産業構造の工業化が飛躍的に進んだ。また、大分県立芸術短期大学(現大分県立芸術文化短期大学)の開学、九州横断道路の着工、大分県立図書館の建設、第21回国民体育大会の開催、新大分空港の着工等を行った。