杉本重遠
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弘化3年(1846年)、江戸浜町の館林藩中屋敷に生まれる[3][6][4][5]。父は杉本重好[1]。3歳の時に父とともに館林へ移った[3][6][4][5]。館林藩主・秋元志朝が創設した藩校・求道館(のち造士書院)に学び[3][4][5]、表小姓として出仕した[3][6][4]。また藩外交官補助、国事外交係を務める[3][6][4][5]。
明治維新後は鎮将府に召し出された[3][1][4][5]。明治2年(1869年)館林藩権少参事となり、権少検事、大警部などを歴任する[3][1][6][4][5]。1884年(明治17年)には欧米を歴訪[3][6][4][5]。徳島県書記官、警視庁警務局長、新潟県書記官などを歴任する[3][1][5]。1897年(明治30年)4月7日に大分県知事に任じられた[1]。
翌1898年(明治31年)6月25日に大分県知事を退任[1]。官職を退いた後は群馬商業銀行の経営にあたった[3][1][6][4][5]。
