杉本重遠

From Wikipedia, the free encyclopedia

杉本重遠

杉本 重遠(すぎもと しげとお、弘化3年11月14日[1][2]1846年12月31日〉 - 1921年大正10年〉[2]2月24日[3])は、幕末館林藩士[3][4][5]明治期の内務官僚実業家大分県知事。従四位勲四等[3][1]。幼名、太郎吉[3][6][4][5]

弘化3年(1846年)、江戸浜町館林藩中屋敷に生まれる[3][6][4][5]。父は杉本重好[1]。3歳の時に父とともに館林へ移った[3][6][4][5]。館林藩主・秋元志朝が創設した藩校・求道館(のち造士書院)に学び[3][4][5]、表小姓として出仕した[3][6][4]。また藩外交官補助、国事外交係を務める[3][6][4][5]

明治維新後は鎮将府に召し出された[3][1][4][5]。明治2年(1869年)館林藩権少参事となり、権少検事、大警部などを歴任する[3][1][6][4][5]。1884年(明治17年)には欧米を歴訪[3][6][4][5]徳島県書記官、警視庁警務局長、新潟県書記官などを歴任する[3][1][5]1897年明治30年)4月7日に大分県知事に任じられた[1]

1898年(明治31年)6月25日に大分県知事を退任[1]。官職を退いた後は群馬商業銀行の経営にあたった[3][1][6][4][5]

墓所は東京都文京区高林寺[3][4][5]

栄典

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI