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本光寺 (愛知県幸田町)

愛知県額田郡幸田町にある寺院 From Wikipedia, the free encyclopedia

本光寺(ほんこうじ)は、愛知県額田郡幸田町深溝にある曹洞宗寺院。山号は瑞雲山(ずいうんさん)。深溝松平家菩提寺であり、境内にある島原藩主深溝松平家墓所は国の史跡に指定されている[1]

所在地 愛知県額田郡幸田町深溝内山17番地
位置 北緯34度50分14.32秒 東経137度10分55.65秒
山号 瑞雲山
宗旨 曹洞宗
概要 本光寺, 所在地 ...
本光寺

本堂とアジサイ
所在地 愛知県額田郡幸田町深溝内山17番地
位置 北緯34度50分14.32秒 東経137度10分55.65秒
山号 瑞雲山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 大永3年(1523年
開基 松平忠定
別称 あじさい寺
文化財 島原藩主深溝松平家墓所(国指定史跡)
京洛諸国名所図(町指定)
春日曼荼羅図(町指定)
家忠・忠利・忠一像(町指定)
梵鐘(町指定)
法人番号 7180305000308 ウィキデータを編集
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本尊は釈迦如来像。脇侍地蔵菩薩像と千手観音像は運慶作と伝承される。また、境内に多数のアジサイが植えられていることから「あじさい寺」の通称を持つ[2]

歴史

大永3年(1523年)に深溝松平家初代当主松平忠定によって開基された。希聲英音(希声英音)和尚により、大洞山泉龍院の末寺として開山された。禅宗における勧請開山の形式により、師を敬って希聲を開山としているが、実質的な開山は2代目の華宗英香とされる[3]

島原藩主深溝松平家墓所

深溝松平家が肥前国島原藩転封された後も、歴代藩主の遺体は三河国深溝の本光寺へ運ばれ埋葬された。墓所は西廟所と東廟所に分かれており、西廟所には初代から5代および11代当主、東廟所には6代から10代、12代から19代当主と6代正室の霊廟が配置されている[4][5]

2014年(平成26年)3月18日、国の史跡に指定された。

西廟所

1代から4代の墓所は簡素な形式で一所にまとめられている。5代松平忠利の廟である「肖影堂」、島原藩初代藩主松平忠房の長男で夭逝した松平好房の「孝子廟」、11代松平忠恕の廟が置かれている。また、忠房が福知山藩主時代に造営し、完成まで10年を要した「願掛け亀」が設置されている。

願掛け亀

寛文12年(1672年)建立。石碑を甲羅に乗せた亀の石像(亀趺)。首部分にある窪みに賽銭を投げ入れると願いが叶うという伝承がある。

東廟所

東廟所前の山門
東廟所

島原藩転封以降の当主(11代を除く)の墓所が置かれている。

参道・山門

参道は石畳となっており、三河地震の際に崩壊した石垣や墓石が敷設されている。山門は朱塗りで、「瑞雲山」の扁額が掲げられている。屋根瓦が通常と逆向きに配置されているが、これは火災除けのまじないであるという伝承がある。

廟所

廟所内の敷石はひれ伏す方向に揃えて敷かれており、臣下を表しているとされる。また、京都の吉田神社に基づく吉田神道の思想を取り入れた「神殿型墓石」が採用されている[6]

1945年(昭和20年)1月13日の三河地震により、土塀や石垣の一部が崩壊した[7]

第7代松平忠雄の墓

東廟所にある7代松平忠雄の墓は、2008年(平成20年)の平成20年8月末豪雨による損壊の懸念から、2009年(平成21年)に学術調査が実施された。その際、西洋伝来のガラス製グラスや慶長小判などの副葬品が大量に発見され、近世大名家の埋葬様式を知る上で貴重な資料として評価された[8]

発掘調査

松平忠雄墓所から出土した祝婚青色ガラス杯

2009年(平成21年)の松平忠雄墓所の修復に伴う発掘調査では、以下の遺物が出土した[9]

  • 老眼鏡
  • 書道道具
  • 磁器
  • 喫煙道具
  • 祝婚青色ガラス杯(慶長4年/1599年製のボヘミアングラス

文化財

国指定史跡

  • 島原藩主深溝松平家墓所

幸田町指定文化財

  • 家忠・忠利・忠一像[10]
  • 京洛諸国名所図[10]
    • 土佐派による作品。「日暮屏風」の通称を持つ。寛文3年(1663年)に皇居造営を命じられた6代忠房に下賜された。
  • 梵鐘[10]
  • 春日曼荼羅図[10]

境内植物

参道とアジサイ

参道および境内には約1万本のアジサイが植えられており、例年6月頃には「紫陽花まつり」が開催される。また、約5000本のツバキをはじめ、ウメサクラなどの花木も植えられている。

アクセス

脚注

関連項目

外部リンク

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