本光寺 (愛知県幸田町)
愛知県額田郡幸田町にある寺院
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歴史
島原藩主深溝松平家墓所
深溝松平家が肥前国島原藩へ転封された後も、歴代藩主の遺体は三河国深溝の本光寺へ運ばれ埋葬された。墓所は西廟所と東廟所に分かれており、西廟所には初代から5代および11代当主、東廟所には6代から10代、12代から19代当主と6代正室の霊廟が配置されている[4][5]。
2014年(平成26年)3月18日、国の史跡に指定された。
西廟所
1代から4代の墓所は簡素な形式で一所にまとめられている。5代松平忠利の廟である「肖影堂」、島原藩初代藩主松平忠房の長男で夭逝した松平好房の「孝子廟」、11代松平忠恕の廟が置かれている。また、忠房が福知山藩主時代に造営し、完成まで10年を要した「願掛け亀」が設置されている。
願掛け亀
寛文12年(1672年)建立。石碑を甲羅に乗せた亀の石像(亀趺)。首部分にある窪みに賽銭を投げ入れると願いが叶うという伝承がある。
- 西廟所
- 願掛け亀
- 初代から四代までの墓
東廟所


島原藩転封以降の当主(11代を除く)の墓所が置かれている。
参道・山門
参道は石畳となっており、三河地震の際に崩壊した石垣や墓石が敷設されている。山門は朱塗りで、「瑞雲山」の扁額が掲げられている。屋根瓦が通常と逆向きに配置されているが、これは火災除けのまじないであるという伝承がある。
廟所
廟所内の敷石はひれ伏す方向に揃えて敷かれており、臣下を表しているとされる。また、京都の吉田神社に基づく吉田神道の思想を取り入れた「神殿型墓石」が採用されている[6]。
1945年(昭和20年)1月13日の三河地震により、土塀や石垣の一部が崩壊した[7]。
第7代松平忠雄の墓
東廟所にある7代松平忠雄の墓は、2008年(平成20年)の平成20年8月末豪雨による損壊の懸念から、2009年(平成21年)に学術調査が実施された。その際、西洋伝来のガラス製グラスや慶長小判などの副葬品が大量に発見され、近世大名家の埋葬様式を知る上で貴重な資料として評価された[8]。
発掘調査

2009年(平成21年)の松平忠雄墓所の修復に伴う発掘調査では、以下の遺物が出土した[9]。
- 老眼鏡
- 書道道具
- 磁器
- 喫煙道具
- 祝婚青色ガラス杯(慶長4年/1599年製のボヘミアングラス)
