深溝 (幸田町)
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歴史
戦国時代以前
深溝には東光寺遺跡があり、縄文時代からの集落だったと考えられる。海が近かったため非常に豊かで、長野県のものと思われる黒曜石が出土し内陸部の集落と交流があったと考えられている。
東光寺遺跡では竪穴建物が見つかり、非常に発展したといえる。ガラス玉や、弥生時代後期のものと考えられる無痕の土器などが、出土した。この時代にしては、大きな集落だったという。
古墳時代には支配者層を葬ったと思われる古墳が3つ確認されている。日向山古墳、見晴山古墳、馬乗二号墳である。
鎌倉時代となった寛喜3年(1231年)大場氏が深溝城を建城。
室町時代の寛正6年(1465年)、大場次郎左衛門兄弟等が額田郡井ノ口村に砦を構え、東海道の往来を妨げる事件が起きた。幕命によって彼等は松平信光親子に討たれた。松平氏の深溝進出が始まり、大場はこれと戦わざるを得ない状況になったと思われる。
大永4年(1524年)に深溝城が、松平信光の子、松平忠定に奪われる。