李奎報
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父は戸部郎中を務めた李允綏。幼時より文筆の才能に優れ、9歳で奇童と呼ばれ、さらに四書五経・仏教・道教の書物を読みこなし、詩文に長けたという。8000を超える詩作は『東国李相国集』に収められている。また説話文学である「白雲小説」も有名である。呉世才が没した後、江左七賢への参加を李湛之から打診されたが、「今の七賢の中には晋の王戎のような鑑識眼のある者はいない」とし、固辞した。
科挙に及第後、1199年、全州の司録に任命され、崔瑀政権のもとで政治家としても活躍し、1232年にはモンゴルの侵入にあたって、オゴデイに宛てて書状を提出し撤兵させたといい、その功績によって枢密副使吏部尚書・集賢殿大学士参治政事を拝命した。