李子淵
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1024年に科挙に首席で及第、初職としては良醞令を授けられ、御書院、史館、秘書省を経て、監察御史、右補闕、中枢院、内史門下省(中書門下省の前身)、御史台、右散騎常侍と順調に昇進し、さらには文宗の岳父として吏部尚書、参知政事、内史侍郎平章事、門下侍郎平章事を歴任、1055年には門下侍中、判尚書吏部事となって朝廷の首班に上り詰めた。1058年には首相として式目都監使を兼任した。
李仁老の「破閑集」や、李氏朝鮮時代の新増東国輿地勝覧には、子淵の使宋に関する逸話が残されている。子淵は潤州の甘露寺を訪れ、帰国後に開京の郊外に同名の寺院を模倣して建立し、義天の高弟である恵素がその絶景を詠み、親交のあった金富軾が次韻し、それを聞いた人々が和韻したものが数千篇にも上ったという。