正当な王位継承ではなかったが、粛宗は強力な王権によって高麗を安定させた。1101年には南京(現在のソウル)を新しく建設するために南京開創都監を設け、権力をさらに拡大しようとした。また貨幤政策として、入宋僧で実弟の義天の進言を容れ鋳銭都監を設置し、1102年に海東通宝、三韓通宝、海東重宝を鋳造した。
粛宗の時は東アジアの情勢が急変し、北方で成長する女真族が高麗と国境を接するようになって、戦争の繰り返しを避けることができなくなった。
粛宗は軍隊養成に力を注いだが、1105年に西京(現在の平壌)にある東明聖王(高句麗の初代王)の墓地を参拝して開京に戻る途中、車の中で死んだ。粛宗の墓は開京(現在の開城)にある英陵である。