貞観20年(646年)、陳王に封ぜられた。永徽元年(650年)、雍州牧に任ぜられた。永徽3年(652年)7月に皇太子に立てられた。顕慶元年(656年)、武則天が高宗の皇后となると、武皇后に因って13歳で太子位を廃されて梁王に降格され、皇后の子である李弘が立太子された。李忠は梁州都督に左遷され、次いで房州刺史に左遷された。
この頃には李忠は武則天に殺害されることを恐れ、常に女装していたという。顕慶5年(660年)7月、庶民に落とされ、黔州に流されて、以前に伯父の李承乾(父高宗の兄で同じく廃太子)が幽閉された旧居に軟禁された。麟徳元年12月(665年1月)、武則天に謀反の冤罪をかけられ、黔州で殺害された。享年22。
神龍初年、燕王に追封され、太尉・揚州大都督の位を追贈された。