材木座海岸
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→「材木座」も参照
明治期に海水浴場となり、夏目漱石の『こころ』に描かれて有名になった。源実朝が宋(中国)に渡る計画を立て、大きい船を完成させたが、遠浅のため進水できなかったとも伝えられている。
名称は鎌倉時代に鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)という商工組合があり、これに由来する。江戸時代には材木座村と内陸側の乱橋(みだればし)村に分かれていたが、のちに合併して大字「乱橋材木座」となり、これが住居表示に伴い材木座一丁目-六丁目となった。
2013年には鎌倉市が海水浴場の命名権を売りに出し[1]、『鳩サブレー』で知られる地元の菓子店・豊島屋が10年契約で権利を購入したが[2]、「親しんだ名を変えたくなかった」として名称変更を行わず従来の名称を維持している[3]。
2014年、鎌倉市は公共の場所におけるマナー向上に関する条例を制定。海水浴場において飲酒や喫煙、音響機器、裸火の使用を禁止した。2020年、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、海水浴場の開設が見送られた[4]。海水浴場は2021年も、地域住民から寄せられた不安の声から開設が見送られたが、海岸ではライフガードによる監視、看板や警備員による注意喚起などが行われる中、約8万人の観光客や海水浴客が訪れた。2022年からはコロナウイルス感染症拡大以前の開設状況に復帰している[5]。
後述の遺跡や和賀江嶋の存在もあり、貝殻やシーグラスだけでなく海底に沈んだ鎌倉時代の龍泉窯青磁器やかわらけの破片も多く漂着することからビーチコーミングスポットとしても知られる[6]。

