逗子マリーナ

神奈川県逗子市にあるマリンリゾート施設 From Wikipedia, the free encyclopedia

リビエラ逗子マリーナ(リビエラずしマリーナ)は、株式会社リビエラリゾート[1]が運営する神奈川県逗子市小坪相模湾沿いにあるマリーナリゾート。本項では同社が三浦市小網代湾で運営するリビエラシーボニアマリーナについても記載する。

用途 住居、マリーナ、商用
敷地面積 163,202(内水面9,900) m2
着工 1967年昭和42年)
竣工 1971年(昭和46年)
概要 逗子マリーナ Zushi Marina, 情報 ...
逗子マリーナ
Zushi Marina
情報
用途 住居、マリーナ、商用
敷地面積 163,202(内水面9,900) m2
着工 1967年昭和42年)
竣工 1971年(昭和46年)
所在地 249-0008
日本の旗 日本 神奈川県逗子市小坪5丁目一帯
座標 北緯35度17分49秒 東経139度33分16秒
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設立 1967年4月3日
代表者 代表取締役会長 渡邊 曻
代表取締役社長 小林 昭雄
資本金 5,000万円
概要 本社所在地, 設立 ...
株式会社リビエラリゾート
本社所在地 日本の旗 日本
249-0008
神奈川県逗子市小坪5-23-9
設立 1967年4月3日
代表者 代表取締役会長 渡邊 曻
代表取締役社長 小林 昭雄
資本金 5,000万円
主要株主 リビエラ
主要子会社 下田ボートサービス
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概要

逗子マリーナから望む江の島と富士山

リビエラグループ(東京・南青山)は、不動産事業を中心に会員制スポーツクラブ事業なども手がけるほか、1988年にはアメリカロスアンゼルスの名門ゴルフクラブ「リビエラカントリークラブ」を取得するなど、会員制レジャー事業に対する取組で実績を積んできた[2]。同社はこうした経験を基に、2001年特別清算を申請したセゾングループ西洋環境開発から「逗子マリーナ」と「シーボニアマリーナ」の2つのマリーナを買収してマリンリゾート事業に参入、運営管理にあたっていた西洋環境開発の子会社・マリンリゾートをグループ会社化した(2005年、商号をリビエラリゾートに変更)[2]

リビエラ逗子マリーナは、東京都心から約1時間と比較的近距離にあり、湘南の海に囲まれヤシの木がふんだんに植えられ、その地中海的雰囲気から人気を得た。道路標識などを隠すと日本とは思えない海外を思わせる風景となることから[3]1980年代後半のバブル景気期にかけては、しばしばトレンディドラマ映画CMなどの撮影も行われ、日産・シルビアなどの自動車CMでも使用された。近年では映画『コンフィデンスマンJP』のロケ地として知られている[3]

歴史

ヤシが植栽された並木道
港の陸上艇置部と屋内プール

リビエラ逗子マリーナ

1967年4月、逗子観光開発として設立[4]太洋不動産興業施工の小坪湾公有水面埋立事業の協力業務を行った[4]1970年9月、逗子マリーナ管理に商号を変更し[4]1971年6月にオープンした[2]1981年1月、逗子マリーナに商号変更。同年4月太洋不動産興業から逗子マリーナの諸施設を賃借し、ハーバー、レストランボーリングテニスの各事業を運営[4]1983年西武都市開発の傘下に入り[5]1985年6月エスエルピーに商号変更した[4]

逗子海岸鎌倉材木座との間に埋め立てられた16万3000㎡が一体となって開発され[5]、リゾートマンション9棟(1266戸、内会員制127戸)[4]、挺保管能力200挺(海上30挺、陸上170挺)であった[5]。このほかの施設として、シーフードレストラン「セゾン」をはじめとしたレストラン4軒、テニスコート18面、ボーリング場(14レーン)、ガーデンプール(変形50m)などを備えた[5]1991年7月にはテニスコートと陸置き用地の一部を閉鎖して、半地下フロアと1階の2フロアからなる「スポーツサロン逗子マリーナクラブ」を新設している[6]

リビエラグループによる買収後

2004年以降、シースケイプ、クリスタルヴィラの建設、プールの大幅改修、大型マリーナクレーンの導入、ボウリング場「マリーナボール」の廃止など、施設老朽化の補修やリニューアル、新築などによる事業再建が試みられ、2010年代に入り高層ホテルとマンションの建設も公表されたが、これは住人の反対に遭い撤回された。

なお、「マリーナボール」は2004年に閉鎖されたが、建て替えずにそのまま大幅に改装され、ウェディングサロン、インフォメーションセンター、フローリスト、カフェ等に利用されている。

2020年にスモールラグジュアリーホテル「マリブホテル」と、日本初上陸レストラン「マリブファーム」が開業。2022年には国際環境認証ブルーフラッグを受け[3]2023年には会員専用のクラブラウンジがオープンしている[7]。このほか、「リストランテAO逗子マリーナ」、日本初上陸レストランの「マリブファーム逗子マリーナ」、「マリブファームカフェ」を展開。会員制テニスコートも完備している。またヤードを拡張する計画があり、180隻ほどの保管能力を200隻分程度広げるとしている[7]

エピソード

かつてプールで松任谷由実がライブを行っていたことでも知られる。これは親会社の西洋環境開発がセゾングループの中枢企業であったことも大きく、当時、西武百貨店プリンスホテルでも松任谷の関連イベントが盛んに開催されていた。チャペル増築に伴い、ライブは2004年をもって終了した。

またプールではWARJWPプロレス興行も開かれたことがあり、これらの興行では「テキサス・プールサイド・デスマッチ」が名物となっていた。なお、JWPでは逗子撤退後も道場マッチにおいて「真夏のプチ逗子マリーナ」(後にJWP道場の所在地から「六木マリーナ」)と題した同様のルールによる試合を行っている。

本館1階のダイニングレストラン「Captains' Cafe」は、ハーバーを借景にランチやクルージング後のティータイムなど、カジュアルに利用できて人気があり最盛期にはウェイティングも発生した。だが、所有権の問題で本館住民とリビエラリゾートの間で訴訟に発展。現在は新しい結婚式の会場「マリーナテラス」としてリニューアルされた。

1972年4月16日、作家の川端康成が仕事場としていた本館4階で死亡した。これはガス自殺と見られている。

リゾートマンション

逗子マリーナのマンション群
  • 本館 - 地上12階、地下1階建て、1971年(昭和46年)5月竣工。
  • 1号棟 - 地上9階、地下1階建て、1976年(昭和51年)5月竣工。
  • 2号棟 - 地上12階、地下1階建て、1973年(昭和48年)4月竣工。
  • 3号棟 - 地上7階建て、1977年(昭和52年)3月竣工。
  • 4号棟 - 地上9階建て、1975年(昭和50年)3月竣工。
  • 5号棟 - 地上9階建て、1975年(昭和50年)3月竣工。
  • 6号棟 - 地上6階建て、1977年(昭和52年)12月竣工。
  • 7号棟 - 地上5階、地下1階建て、1982年(昭和57年)6月竣工。
  • 8号棟 - 地上5階、地下1階建て、1989年(平成元年)3月竣工。

リビエラシーボニアマリーナ

三浦市の海洋基地建設による市勢発展計画の一環として計画され[8]1963年12月、小網代湾内に約2万坪の埋立地造成を目的に[9]、パンパシフィックエンタープライズを設立。 1968年5月に埋立が完了。9月にヨットハーバーおよびクラブハウスレストランを備えたシーボニア・ヨットクラブとしてオープンした[8][9]。その後、リゾートマンションの分譲に着手し、4棟(360戸)の販売を完了している[9]1970年8月プール、整備工場も完成。翌年6月に、マリーナ陸置場が完成したことにより、保管艇は400隻余りとなった[9]1972年に商号をシーボニアに変更。1979年西武流通グループに加入した[8]

セゾングループの海洋レジャーおよびマリンスポーツの普及を担う拠点として事業を展開していたが、1988年11月、西洋環境開発の子会社である朝日海洋との営業賃貸借契約に伴い、シーボニアの営業は全面的に朝日海洋に移管され、シーボニアは資産管理会社となった[9]

2001年、逗子マリーナとともにリビエラグループに買収された。

同系列だったマリーナ

葉山マリーナ

1963年9月、味の素会長の鈴木三郎助を代表者に、逗子市に隣接する葉山町にヨットハーバー建設を目的として設立[10]。翌年にヨットハーバーとホテルをオープンし、東京オリンピックのヨット競技関連施設として使用された[10]。1984年に西武都市開発が資本参加。堤清二らが取締役に就任した[10]。しかし、西洋環境開発の経営破綻に伴い西武百貨店が引き継ぎ、譲渡先を探し、2002年に京浜急行電鉄が取得した[11]

脚注

参考文献

外部リンク

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