村上清 (年金評論家)
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愛媛県出身。1954年東京大学経済学部卒、日本団体生命保険入社、1974年同取締役、1971年東大経済学部講師を務めた[2]。年金に関する多くの著訳書がある。
1960年代中頃から年金評論家としてメディアで活動を始める。年金危機を早くから予見していた人物である。政府からは修正積立方式に基づく財政運営と説明されていた公的年金に対して、実際は賦課方式で運営されていることを初めて指摘した。また1973年に厚生年金の水準給付(モデル年金)が賃金の60%に設定されたことに対して、将来の過大負担による財政崩壊を防ぐために給付水準に上限を設定することを主張した。厚生年金基金が年金給付の一部を国に代行して支払う制度についても、早晩の行き詰まりを予測していた[3]。