村上紋四郎
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- 1865年(慶応元年) - 愛媛県越智郡宮窪村(現今治市)に農業村上伊勢吉の子として生まれた[3]。父親の村上伊勢吉は福田(のちの吉海町)の出身であるが、 宮窪村の徳丸リセと結婚したため、 宮窪に住み農業を営んだ[3]。 紋四郎は、 戸代部落で私塾を開いていた僧のもとで勉強した。その後、 家業を助けて働いた。
- 1884年(明治17年) - 家督相続し水産業を営む[2]。
- 1890年(明治23年) - 選ばれて宮窪村初代村長となる[3]。7期約30年間、 その職を全うした[3]。また、宮窪村漁業総代にも推され、後に漁業組合頭取に選任された[3]。
- 1892年(明治25年) - 県会議員に当選[3]、後県議会議長[2]。
- 1923年(大正12年) - 衆議院議員に初当選[3]し以後当選5回[2]。憲政会に所属し、後に立憲民政党愛媛支部長となった[3]。
- 1933年(昭和8年) - 今治市長に就任[3]。
- 1945年(昭和20年) - 80歳で没した[3]。