東下り
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東下り/東下(あづまくだり)とは、近世以前の日本社会における地方と移動に関する用語の一つで、都(首都)から東の方・地方(東国)へ行くこと[1][2][3]、または、京の都(平安京)から坂東(関東地方)へ行くことをいう[1][2][3]。
東下(とうか)ともいう[4][5][6]。また、高い所から低い所へ下りてゆくことを下向(げこう)というが、そこから転じて「都から地方へ行くこと」をもそのようにいうため、「東下り」も含意している[7][8][9]。
「下る(くだる)」という語は、一つには、物事の「上下(じょうげ)」に関する古来日本語の概念である「かみ(上)」と「しも(下)」に則った用語で[10]、大王(おおきみ)・皇尊(すめらみこと)の居所である皇居(広義)の所在地が都であり、都がある土地を「上(かみ)」、都から離れた土地を「下(しも)」と捉える概念のもとで、「下へ移動する」ことを指す。また、ここでの「行く(いく、ゆく)」は、行って戻ってくる旅行の「往路」を指す場合もあれば、二度と戻らない(あるいは、戻れない)ことが分かっている(あるいは、歴史的に決まっている)移動の場合もある。
武士が実権を握る中世になる、幕府(鎌倉幕府)が置かれたことから鎌倉が重要となり、つまりは鎌倉時代にはもっぱら「鎌倉へ行くこと」を「東下り」と呼ぶようになった[3]。室町時代になると幕府の所在地も京都に遷ったが、安土桃山時代を経て江戸時代になると、東国にある江戸が幕府所在地となり、この時代には江戸が「東下り」の主な対象地域になった[3]。その後、江戸から明治へと時代が移り変わると、江戸は東京と名を改め、天皇の在所が京都御所から東京の宮城(狭義の皇居、現在の皇居)へ遷った。古代より永らく変わることの無かった「皇居(広義)は常に近畿に所在し、それゆえに畿内〈畿内国〉は上方」で「東国は下る地域」という決まり事は、この歴史的事実をもって前提から崩れ、それ以降、「東下り」は歴史的用語に変わった。