東京二・京太 From Wikipedia, the free encyclopedia メンバー 東京二東京太結成年 1963年解散年 1985年活動時期 1963年 - 1985年東(あずま) 京二(きょうじ)・京太(きょうた)メンバー 東京二東京太結成年 1963年解散年 1985年活動時期 1963年 - 1985年師匠 松鶴家千代若・千代菊(京太)Wけんじ(京二)旧コンビ名 鶴田松夫・竹夫(京太)西若二・菊二(1963年 - 1966年)現在の活動状況 解散京二→J・J京二・たかし京太→東京太・ゆめ子芸種 漫才テンプレートを表示 東京二・京太(あずまきょうじ、きょうた)は昭和期の漫才コンビ。 東 京二 東 京太(あずま きょうた、本名:菅谷利雄、1943年7月21日 - 2026年2月2日) 東京都台東区出身。ボケ担当。 1961年、松鶴家千代若・千代菊に入門。翌年『鶴田松夫・竹夫』というコンビを結成したが、2年で解散し京二と組み直す。 ピンでは競輪評論家として活動。 略歴 1963年 - 西若二・菊二の名で初舞台。 1966年2月 - 当時の東京都知事東龍太郎によって東京二・京太と命名。 1969年 - NHK新人演芸大賞で優勝し、息の合った実力派コンビとして活躍。 1973年〜1974年 - 時代劇『ぶらり信兵衛 道場破り』(フジテレビ 東映)に出演。 1985年 - 方向性の違いにより解散。 芸風 京太の栃木弁のボケ(師匠の千代若の口真似)に、京二の北海道弁のツッコミが人気を博した。 解散後、それぞれ夫婦漫才(東京二・笑子、東京太・ゆめ子)を結成。 京二は1994年に笑子[1]が交通事故にあい、ひとりで舞台を続ける。1996年秋に笑子が復帰し、コンビを復活させたが2004年笑子の休業に伴い解散。弟子の東たかし(現:結城たかし)と組み『東京二・たかし』として活動していたが、2008年一旦解散。その後、漫談家として活動していたが、2023年に結城たかしとコンビを再結成し『J・J京二・たかし』として活動している。 弟子に東京丸・京平、東京介[2]らがいる。 主なネタ 大当たり大吉 あの待ち、この待ち 作品 CD・レコード 忘れはしないよおゆきちゃん(1969年11月テイチク発売) 花の呼び込み人生(1975年頃、ローヤルレコード(マキシム)) 脚注 ↑ 元『さえずり姉妹』 ↑ 元『東京助・玉助』、現『ふじ健介・東京介』 外部リンク 東 京二 - 漫才協会 東 京二のプロフィール(鈴々舎馬風 一門のオフィシャルホームページ) 東 京二 - 落語協会 東 京太 - 落語芸術協会 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。表示編集 Related Articles