東郷高塚古墳
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高さ7.6m(後円部)
| 東郷高塚古墳 | |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県宗像市日の里3丁目4-17(日の里12号公園内) |
| 位置 | 北緯33度47分56.16秒 東経130度32分26.36秒 / 北緯33.7989333度 東経130.5406556度座標: 北緯33度47分56.16秒 東経130度32分26.36秒 / 北緯33.7989333度 東経130.5406556度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長64.4m 高さ7.6m(後円部) |
| 埋葬施設 | 粘土槨(内部に割竹形木棺) |
| 出土品 | ヒスイ製勾玉・管玉・鉄製武具片など |
| 築造時期 | 4世紀後半 |
| 史跡 | なし |
| 地図 | |
宗像市南部、許斐山から延びる丘陵の先端部に築造された古墳である[1]。1966年(昭和41年)に始まる日の里団地の造成で存在を知られるとともに開発を免れ[2][3][4]、1986-1988年(昭和61-63年)に確認調査が実施されている[1]。
墳形は前方後円形で、前方部を北西の玄界灘の方角に向ける[3]。墳丘長は64.4メートルを測り、宗像市域では最大規模になる[2][注 1]。後円部周囲には幅約12メートルの外堤が半円形に巡らされている[2](一周しないのは地形の制約か[3])。埋葬施設は粘土槨で、その上面には赤色顔料が塗られ、内部には割竹形木棺が収められている[1]。木棺は墳丘主軸と平行方向に5.4メートルを測り[4]、北部九州地方では最大級の規模になる[2]。この埋葬施設は中世頃に盗掘に遭い副葬品のほとんどが失われているが[2]、調査ではヒスイ製勾玉、埴輪・土器、管玉、鉄矛片、鉄剣片が検出されている[1]。
この東郷高塚古墳は、古墳時代前期の4世紀後半頃の築造と推定される[1]。現在確認されているものでは宗像地方で最古級の前方後円墳とされ[1]、沖ノ島祭祀(4世紀後半-9世紀末)が始まる時期の有力者、かつ以後の古代宗像の発展の礎を築いた首長の墓にあたるとして注目される[2][3][4]。宗像地方では東郷高塚古墳に続く前方後円墳の築造が4世紀のうちは見られないが、5世紀に入ると内陸部から海岸部に場所を移し、福津市津屋崎周辺(津屋崎古墳群(新原・奴山古墳群など))で築造されるようになる[3]。
現在の古墳域は日の里12号公園内に位置し、他の円墳2基(東郷3号墳・5号墳)とともに保存されている[1]。なお、ユネスコの世界遺産「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」において、2009年(平成21年)に同遺産がユネスコ世界遺産暫定一覧表に記載された際には本古墳も構成資産候補とされていたが[5]、その後の2017年(平成29年)の正式登録の際には構成資産から外されている。