杵屋六左衛門
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- 初代杵屋勘五郎を初代に数えられる。
2代目
3代目
4代目
5代目
6代目
4代目杵屋喜三郎が襲名した。
7代目
8代目
9代目
10代目
(寛政12年(1800年) - 安政5年8月16日(1858年9月22日))
9代目の次男、幼名・吉之丞。1816年11月に河原崎座で4代目杵屋三郎助の名で初出座、1826年2月には大薩摩節の10代目大薩摩主鈴から家元を預かり大薩摩筑前大掾藤原一壽を名乗った。1827年頃に立三味線となり天保元年(1830年)11月に中村座で10代目六左衛門を襲名。以降中村座で囃子頭を務める。1858年9月に当時流行していたコレラで死去。現在も演奏会で好んで演奏される作品が多い多作の人である事から「長唄中興の祖」といわれる。「傀儡師」「石橋」「外記猿」「供奴」「賤機帯」「浦島」「角兵衛」(以上の曲は「4代目三郎助」時代の作品)「喜撰」「鳥羽絵」「五郎時致」「秋の色種」「常盤の庭」「鶴亀」「末広がり」などを作曲。(作曲・発表順)
11代目
3代目杵屋勘五郎の前名。作曲に「綱館」「竹生島」「四季の山姥」など
12代目
(天保10年(1839年) - 大正元年(1912年)8月31日)
江戸四谷塩町の生まれ、唄方の2代目芳村孝三郎の子、幼名・直吉。14歳で10代目六左衛門の門弟で六松、16歳で養子となった、安政2年(1855年)9代目杵屋喜三郎で中村座に初出座、22歳で立三味線となり中村座、の囃子頭となった慶応4年(1868年)、12代目を襲名。明治22年(1889年)歌舞伎座開場と共に囃子頭を務め、当時住んでいた住まいから植木店派(六左衛門家)と呼び全盛をもたらす。1894年に喜三翁から喜音翁を経て1903年に3代目杵屋勘兵衛と改名。東京長唄組合が結成された時には会長に就任。
「新松竹梅」「四季の詠」などを作曲。