杵屋勘五郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
2代目
3代目
生年は諸説あり1823年とも。10代目杵屋六左衛門の妻の兄の子で後に養子。1829年の顔見世番付に初代杵屋栄蔵、1843年に中村座で立三味線、翌年の1844年11月に中村座で5代目杵屋三郎助を襲名し以降同座の囃子頭となる、文久元年(1861年)11月3日に11代目六左衛門、慶応4年(1868年)義弟に六左衛門と囃子頭の地位を譲り3代目勘五郎となる。一方義理の弟文左衛門からは大薩摩節の12代目の家元を譲り受け大薩摩絃太夫藤原直光浄空を名乗った。また稀音家照海の名も名乗った。音曲の故事研究家でもあり、『大薩摩杵屋系図』『大倭三絃甲乙図』などを著した。作曲に「紀州道成寺」「土蜘」「綱館」「橋弁慶」などがある。植木店から下谷根岸を住まいを移したことから「根岸の勘五郎」と称された。没年月日は8月5日とも。
正式な大薩摩家元名は十二世大薩摩絃太夫藤原直光浄空。従五位下杵太夫平正則を拝受。別号を稀音家照海、風見庵。俳号は絃中庵吐一。著作は上記の外「囃子系図」「中村座囃子日記」「露の転文」がある。墓地は谷中墓地甲9号1側6にあり、山岡鉄舟書銘で「中村勘五郎墳墓」とある。伝承されている曲⇒神園千代寿。四季花里。紅葉詣。枕慈童。紀州道成寺。(外に秘曲道成寺がある)。喜。四季山姥。竹生島。土蜘(上中下)。王子みやげ。三曲松竹梅。福の神。日本七福神。 新小鍛冶(根岸小鍛冶)。見月。月下の鶴。羅生門。綱館。七騎落。朝比奈。橋弁慶。安宅新関(安宅勧進帳)。今様松廼寿。大望月。 宮比御神楽。朝顔。 (稀音家義丸補足)
墓所は谷中霊園。
4代目
初代稀音家浄観の前名。
5代目
(1875年4月14日 - 1917年3月24日)本名は石原広吉。
東京の生まれ、12代目杵屋六左衛門の次男。最初は商人にさせようとしたがあまりにも技量がすばらしくこの世界に入れた。初名を2代目杵屋栄蔵。1902年11代目(13とも)杵屋喜三郎から1902年に5代目勘五郎となる。兄に13代目杵屋六左衛門があり、ともに歌舞伎長唄で活躍。作曲に「里廼四季」「新曲浦島」「島の千歳」「多摩川」がある。技量は兄を勝るものがあったが病魔に冒されて程なく没した。
娘の杵屋響泉は105歳でCDデビューしている[1]。2024年10月に109歳で第73回神奈川文化賞受賞[2]。2024年11月に110歳を迎えた[3]。
