松岡館

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別名 松岡陣屋
築城主 松平昌勝
築城年 慶安元年(1648年
主な城主 松平昌勝、松平宗昌
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松岡館
福井県
松岡館跡
松岡館跡
別名 松岡陣屋
築城主 松平昌勝
築城年 慶安元年(1648年
主な城主 松平昌勝、松平宗昌
廃城年 享保6年(1721年
位置 北緯36度05分36.59秒 東経136度17分49.50秒 / 北緯36.0934972度 東経136.2970833度 / 36.0934972; 136.2970833座標: 北緯36度05分36.59秒 東経136度17分49.50秒 / 北緯36.0934972度 東経136.2970833度 / 36.0934972; 136.2970833
地図
松岡館の位置(福井県内)
松岡館
松岡館
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松岡館の位置(日本内)
松岡館
松岡館

松岡館(まつおかやかた)は、福井県永平寺町の松岡葵の土地にあった松岡陣屋の別称。越前松岡藩の藩庁が置かれていた。当時は御館(松岡御館)と呼ばれていた。

正保2年(1645年)8月、越前福井藩第3代藩主の松平忠昌が没すると、同年11月に遺領のうち、足羽郡吉田郡丹生郡坂井郡今立郡南条郡大野郡の108村、5万石が忠昌の庶長子であった松平昌勝に分知され、新たな藩「松岡藩」が創設された [1]。 ただし格式として城主格ではなかったため、城の建築は許されず、藩主の居館・藩の政庁として陣屋(御館)が建てられることとなった[2]。 陣屋は、吉田郡芝原庄江上村にある九頭竜川南岸の河岸段丘の上に置くこととされ、同地は「松岡」と名付けられた[2]。松岡の「岡」は、段丘にある地形から、「松」は、松平の松とも、ここに松林があったからともいう[3]

慶安元年(1648年)11月、造営が開始された[2]。造営は、福井藩からの分封に伴い昌勝付きの松岡藩士となった、軍学者片山良庵が担当した[4]。縄張り自体は陣屋らしく、二重の方形による構えの簡素なものであった。中心となる御館は総坪数7780坪、その周りに土居水堀が巡らされ、その内側は「御構之内」、外側は「御構之外」と呼ばれた[5]。「御構之内」には123の侍屋敷が配され、「御構之外」には軽輩の屋敷(御徒屋敷20、御坊主屋敷9、足軽屋敷125など)が置かれた[6]

承応3年(1654年)6月、藩主松平昌勝が初入部した[7]元禄6年(1693年)7月、昌勝が没し、三男の松平昌平(のちの松平宗昌)が第2代藩主となった[8]享保6年(1721年)12月、福井藩主松平吉邦の死没により、昌平が本藩福井藩を継ぐこととなったため、松岡藩は本藩に併合されて廃藩となり、藩庁であった松岡陣屋も廃された[9]

現代

脚注

参考文献

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