5代藩主・松平康哉の次男として誕生。寛政6年(1794年)、父の死去により跡を継ぐ。
同年、浮世絵師の北尾政美(鍬形紹真、鍬形蕙斎)を藩のお抱えとして登用した。一介の町絵師であった北尾の正式採用は異例であったが、北尾は老中松平定信と親交が深く、また定信は康哉とも親交が深かった、という縁も指摘される。またこれは、ただ芸術家を保護したのではなく、北尾が得意とした「(それまでの平面的な地図・絵図ではなく)俯瞰構図と遠近法を駆使して景色を描く」という技術を藩政および軍事に応用しようとしたものである、とする説がある。
藩政においては、領内に観農所を設置している。文化2年(1805年)7月13日、20歳で死去し、跡を弟斉孝が継いだ。