享保10年(1725年)7月30日、出雲広瀬藩3代藩主・松平近朝の三男として誕生した。
はじめ広瀬藩本家の出雲松江藩主・松平宣維の養子であったが、一族である津山藩3代藩主・松平長煕が嗣子無くして享保20年(1735年)に早世したため、急遽その養子となって家督を継いだ。長じてのち、藩政においては庄屋制度を廃止して地方目付を配置するなど、それなりの政治力を見せたが、成果を見る前に宝暦12年(1762年)閏4月29日に死去した。享年38。跡を長男の康哉が継いだ。
改易となった本多忠央の預かり先となっている。