松平康爵
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| 時代 | 江戸時代後期 |
|---|---|
| 生誕 | 文化7年6月6日(1810年7月7日) |
| 死没 |
慶応4年5月3日(1868年6月22日)[1] または同年5月8日(同年6月27日)[2] |
| 戒名 | 寛隆院殿温誉誠円徳潤大居士 |
| 墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 |
| 官位 | 従五位下、左近将監、周防守 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 徳川家斉→家慶→家定 |
| 藩 | 石見浜田藩主、陸奥棚倉藩主 |
| 氏族 | 松井松平家 |
| 父母 | 父:松平康任、母:松平康定の娘 |
| 兄弟 | 康寿、康爵、康圭、達、聡子、知姫、簾子、愛姫、小出英発正室 |
| 妻 | 稲葉雍通の娘 |
| 子 |
九鬼隆義継室、康済 養子:康圭、新庄直彪正室 |
松平 康爵(まつだいら やすたか)は、江戸時代後期の大名。石見国浜田藩主、陸奥国棚倉藩主。官位は従五位下・左近将監、周防守。松井松平家9代。