松本利一
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関西中学校(現・関西高等学校)出身。1940年に名古屋金鯱軍へ入団。1940年7月13日の阪急戦(後楽園球場)で、長尾貞利、内藤幸三の後を受けて3番手投手でプロ初登板[1]。この試合では5回から8回までの4イニングを投げて2失点だったが、7回表のプロ入り初打席でレフト前ヒットを打った。この試合を見ていた、関西中学の先輩でもある 井野川利春(当時の阪急監督)と黒田健吾(当時の阪急主将)に誘われる形で、1940年シーズン終了後阪急軍に移籍。
阪急移籍後にデビュー試合を見て打撃センスを買われたこともあり、一塁手に転向した。移籍初年度の1941年は出場機会がなかったが、1942年終盤より力を付け、1943年シーズンに一塁手のレギュラーを獲得。選手不足だった事情もあって右翼手としても出場した[2]。しかし、1943年シーズン終了後に応召。その後、戦死した(没年月日及び死没場所は不明)。享年22~24。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。