関商工高から1969年にドラフト外で南海ホークスへ入団したが、当時の南海は、野村克也選手兼任監督の壁が厚く他の捕手は出番に恵まれなかった。
1976年からは移籍してきた江夏豊のキャッチボールのパートナーを黒田正宏と共に務め[1]、1977年には捕手として17試合に起用されるが、先発マスクを被ることはなく、指名打者で1試合に先発したのみであった。同年9月24日の日本ハム戦(後楽園)では途中出場ながら、谷山高明から初本塁打を放ち1打数1安打1打点を記録。
偵察要員としての起用が多く、野村解任後の1978年は黒田が正捕手に起用され、先発出場は6試合にとどまった。
広瀬叔功監督の構想からも外れて、1979年限りで現役を引退。