板倉胤臣
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上総国長柄郡茂原村[1](千葉県[2]長柄郡茂原村、茂原町[3]茂原[1]、長生郡茂原町[4]を経て現茂原市)で、醤油醸造業・板倉任他郎の長男として生まれる[1][5]。1865年(慶応元年)江戸に出て芳野金陵に師事し儒学を修め[1][3]、勤皇の志士と交わった[1]。
1868年(明治元年)夏、鎮撫総督柳原前光が勅使として上総、下総に派遣された際に、板倉は先導役を務めた[1][3][5]。同年9月、鎮台府房総監察兼宮谷県知事・柴山典の属官となり訟事を担った[1][3][5]。
1872年(明治5年)に帰郷し、千葉県第7大区(長柄・埴生郡)副区長に就任[1][3][5]。さらに千葉県会の代議員となる[1][3][5]。1876年(明治9年)第7大区長に就任し、次いで第8大区(山辺郡)長を兼務した[1][3]。1878年(明治11年)望陀郡、周淮郡、天羽郡の三郡長となるがほどなく辞任した[1][3]。
1879年(明治12年)府県会規則による千葉県会が開かれて議員に選出され[1]、同議長を務め[1]、千葉県商法会議長も務めた[1][3][5]。県会議員は1889年(明治22年)3月まで通算3期在任し[1]、同常置委員、地方衛生会委員にも在任した[1][3]。
1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(千葉県第6区、無所属)で当選し[6]、その後、自由倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任したが[2][4][5]、病により帰郷して家業に従事した[1]。
また、1887年(明治20年)茂原藻原寺に賛化学校を開設して小学校卒業後の教場とし[1][3][5]、桑園を開き長柄・上埴生両郡養蚕組合長に就任して養蚕を奨励し[1][3][5]、長柄・上埴生醤油組合長および殖産集談会頭を務め[1][3][5]、房総馬車鉄道の設立にも参画するなど[1][3][5]、地域の産業振興に尽力した[1]。