和歌山毒物カレー事件

1998年に日本の和歌山県和歌山市で発生した毒物混入・無差別殺傷事件 From Wikipedia, the free encyclopedia

和歌山毒物カレー事件(わかやまどくぶつカレーじけん)とは、1998年平成10年)7月25日日本和歌山県和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別殺傷事件である[8]。地区の夏祭りで提供されたカレーライス亜ヒ酸が混入され、カレーライスを食べた67人がヒ素中毒症状を起こし、うち4人が死亡した[3]殺人罪などで起訴された林 眞須美(はやし ますみ)は2009年(平成21年)5月19日死刑確定したが[9][10]、一方で冤罪疑惑がしばしば指摘されており(後述)、林は2025年(令和7年)6月時点で第3次再審請求中である[11]

場所 日本の旗 日本: 和歌山県和歌山市園部1013番地の5(事件現場:夏祭りの会場)[1]
座標
北緯34度15分35.6544秒 東経135度11分23.5860秒
標的 夏祭りに集まった園部地区の住民
日付 1998年平成10年)7月25日[1][2]
17時50分ごろ(夏祭りの開始時刻)[1] 19時ごろ(終了時刻)[1]
概要 和歌山毒物カレー事件, 場所 ...
和歌山毒物カレー事件
場所 日本の旗 日本: 和歌山県和歌山市園部1013番地の5(事件現場:夏祭りの会場)[1]
座標
北緯34度15分35.6544秒 東経135度11分23.5860秒
標的 夏祭りに集まった園部地区の住民
日付 1998年平成10年)7月25日[1][2]
17時50分ごろ(夏祭りの開始時刻)[1] 19時ごろ(終了時刻)[1]
概要 夏祭りで提供されたカレーライス毒物亜ヒ酸)が混入され、カレーを食べた67人が急性ヒ素中毒を発症[3]。うち4人が死亡した[3]
攻撃手段 カレーライスに毒物を混入[2]
攻撃側人数 1人[3]
武器 亜ヒ酸[3]
死亡者 4人[3]
負傷者 63人[3]
犯人 林 眞須美冤罪を主張)
容疑 殺人・殺人未遂詐欺[4]
動機 未解明[5]
対処 和歌山県警が林を被疑者として逮捕・和歌山地検が林を被告人として起訴
刑事訴訟 死刑(上告棄却により確定[6] / 未執行
管轄
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和歌山カレー事件とも呼ばれることがある[8]

概要

本事件は、1998年平成10年)7月25日夕方に和歌山県和歌山市園部地区で開催された夏祭りにおいて、提供されたカレーライス毒物が混入されていたことから、67人が急性ヒ素中毒となり、うち4人が死亡した毒物混入・無差別殺傷事件である[注 1][12]

現場の近所に住んでいた主婦の林 眞須美(以下「眞須美」と表記)が被疑者として逮捕され、カレー毒物混入事件・保険金殺人未遂事件・保険金詐欺事件の合計9件で起訴された[4]被告人となった眞須美は刑事裁判無罪を訴えたが、第一審和歌山地裁で死刑判決を受け[13]控訴上告も棄却されたため[14][15]2009年(平成21年)5月19日最高裁判所で死刑が確定[9][10]、眞須美は戦後日本で11人目の女性死刑囚となった[16]

2020年令和2年)9月27日時点で[17]、眞須美は死刑囚死刑確定者)として大阪拘置所収監されている[18]冤罪の可能性を指摘する声もあり、眞須美は事件から27年となる2025年(令和7年)11月時点で3次再審請求中である(詳細は後述[19]

地域の夏祭りで発生した重大事件として大きな社会的衝撃を与え、さらに多数の報道関係者が2か月以上にわたって現地に集まるなど、異常な報道態勢も続いた。

事件の経緯

毒物混入の経緯[20]

眞須美の属する自治会では、1992年度から恒例行事として夏祭り[注 2]を開催しており、1998年度も、7月25日にこれを行うことになった。そして、同年6月30日に自治会長宅で行われた役員班長会議において、食べ物としてカレーやおでんを提供すること、カレー等は、自治会の女性役員や班長方の女性が中心になって、当日8時30分から夏祭り会場隣の住民宅ガレージ内で調理すること、調理後は、当日12時から夏祭りが始まる18時までの間、1班から5班までの班長が1時間ずつ交代で見張り(子供が鍋を倒したりするのを防ぐため)をすることなどが決められた[注 3]

眞須美は当時、自治会内の1班の班長をしており、上記会議には出席していたものの、同じ班から役員(婦人部部長)に選出されていた住民Aに対し、「当日午前中のカレー等の調理には行けないが、12時から13時までの見張りには行く」と告げていた。

夏祭り当日の午前中、眞須美は、6時30分ごろから8時30分ごろまでの間、入院先の病院で精密検査を受けていた。一方ガレージでは、8時30分ごろから近隣の主婦十数名が集まってカレー等の調理にあたっていたが、その際、集まった主婦らの間では、林宅からその南側を流れる用水路にゴミが投棄されたり、夜中にピアノを弾いたりするので困るといった話題が交わされた。

カレー等の調理がほぼ一段落した12時ごろ、ガレージ内にはAら6名の主婦がいた。Aはそのころ、他の主婦から眞須美が見張りに来てくれるかどうかを聞かれ、これに対し、Aとしては、眞須美が午前中の調理を理由もなくサボったと思っていたこともあって、「朝調理に来なかったから、来るかどうか分からへんわ」とやや興奮気味の調子で答えた。眞須美は、その直後ガレージに現れた。

その場にいた主婦らは、誰も眞須美にあいさつをせず、ガレージの中は気まずい雰囲気が漂った。眞須美は、Aに「(カレー鍋の)火を付けて混ぜておかんでいいの」と話しかけたが、Aは「混ぜやんでいいんやで、見てるだけでいいんやで」と言った。さらに眞須美は、Aに「氷どうなってんのかな」と聞いたため、Aは、眞須美が班長としての仕事まで押しつけようとしていると思って腹を立て、「氷のことまで知らんわ。作ってくれているかどうか行って聞いてきて」とやや強い調子で答えた。眞須美は、少しあわてた様子でガレージを出ていき、1班に属する数軒の家庭に氷を作っているかどうかを聞いて回った。

眞須美がガレージを出ていくのと前後して、他の主婦らも自宅に帰り、ガレージ内にはA1人となった。Aは、眞須美にきつく言いすぎたと思い、眞須美が戻ってきたら、できるだけ普通に話しかけようと思っていた。

眞須美は、10分くらい後にガレージに戻ってきて、Aとカレー鍋等の見張りを始めた。Aは、眞須美に「暑かったやろう」と声をかけ、午前中の出来事や午後の予定などを話そうとしたが、眞須美はほとんど返事をせず、話を聞いていないような素振りを見せた。Aは、普段よく話をする眞須美が何も話そうとしないので、気まずい気持ちになり、眞須美に、夫の食事の準備をしなければならないので帰ってもいいかと尋ねた。眞須美は、普段の調子に戻り、「行って行って」と言って、Aを帰らせた[注 4]

Aは、同日12時20分ごろガレージを出ていったが、それとほぼ入れ違いに眞須美の次女がガレージに現れ、眞須美と何か話をしてすぐに出ていった。また、これと前後して、ガレージ内にいた眞須美の長男と三女もガレージから出ていった。そして眞須美は、その時から同日13時ごろまでの間、1人でカレー鍋の見張りをしていた際に、殺意を持って紙コップに半分以上入った亜ヒ酸をカレーの中に混入させた。

その後、眞須美は、見張り当番を交代しに来た住民Gに対し、「座っとっただけやで」「蓋もとってないし味も見てへんよ」などと、自らは鍋に触れていない旨の虚偽の説明をしたうえで、何事もなかったかのようにガレージを後にして自宅へ戻った。

自宅に戻った眞須美は、夫の健治と昼食をとった後、健治からカラオケに行くことを提案され、午後2時半ごろに「お父さん(健治)がカラオケ行きたい言うので、今日は行ってもいいか」と友人Oに電話をかけ、午後7時から友人Oの所有するビル1階のカラオケ喫茶で落ち合う約束をした。

夕方ごろ、眞須美は長男・長女・次女・三女にレトルトカレーの夕食をとらせ、夏祭り会場にご飯などを持って行くために立ち寄り、住民Aに「友達から家族ぐるみでお呼ばれしているので、夜の手伝いには行けない」といった虚偽の説明をして、夏祭りの夜の手伝いを断った。班長なのに夜の手伝いもしないのかと驚き、あきれた住民Aは、多少意地悪っぽく「(祭り会場で)ご主人、カラオケ歌わへんの[注 5]」と聞いたが、眞須美は特に返事をしなかった。その後、住民Aが住民Dに代わってもらえるよう頼んでおくと伝えると、眞須美も自分からも住民Dにお願いすると言い、祭り会場から去った。

眞須美は続けて住民D宅を訪れ、夜の手伝いの代わりを依頼し、自宅に残っていた夏祭りカレーの無料引換券を渡して処分した。

会場に人が集まり始めた午後6時ごろ、眞須美は、健治・長男・次女の4人で自家用車に乗り、夏祭り会場近くの道を通ってカラオケ喫茶に向かった。長女、三女らはカラオケに行っている間を自宅で過ごせるように、子供向けビデオを3本レンタルした。眞須美は亜ヒ酸混入からこの間、鍋を倒すなどして事件の発生を回避させることは可能であったが、カレー提供が始まった状況を横目にカラオケに向かい、事件の発生を放置した。

眞須美らは、カラオケ喫茶で友人Oと合流して、閉店時刻の午後11時ころまで滞在した後、Oを自宅まで送り、スナックに移動した。スナックでは健治が数曲歌った一方、眞須美は1曲も歌わず、口数も少なく元気のない様子であった。眞須美ら4人は午前1時ごろまでスナックに滞在してから帰宅した。長男と次女にとってこれほど遅い外出は初めての経験であった。

被害発生[21]

事件現場周辺の航空写真(2008年撮影)。オレンジ枠で囲われた場所が事件現場の空き地(和歌山市園部1013番地の5[1]、水色の★印はカレーが調理されていたガレージの箇所。赤枠で囲った場所は林眞須美の家(和歌山市園部1014番地の1[22]の跡地。『朝日新聞』 (2017) を参考に作成[23]

1998年7月25日夕方、和歌山市園部地区の新興住宅地で、園部第14自治会が夏祭りを開催した。近所付き合いを深めるため、自治会役員らは祭会場付近のガレージで大きな寸胴鍋2つを使ってカレーを作り、祭り会場の中央のテントに運んで来場者に振る舞っていた。

祭り開始前後で、カレーを食べた住民たちが相次いで激しい腹痛、嘔吐、下痢を訴え、未成年30人を含む多数が救急搬送された。症状の進行は早く、自治会長と副会長、小学生の男児、女子高校生の計4人が死亡し、63人が急性中毒の症状を呈した。

当初、和歌山市保健所や和歌山県警は、調理や保存の過程に問題があった可能性を含めて「集団食中毒」を疑って調査を始めた。しかし、重症例の多さや死者の発生から、捜査本部は早い段階で「通常の食中毒では説明がつきにくい異常事態」と認識し、毒物混入の可能性を視野に入れた捜査に切り替えていった。

青酸反応とヒ素中毒の確定[21]

事件直後、被害者の吐瀉物やカレーの残りを和歌山県警科学捜査研究所が簡易検査にかけたところ、青酸化合物の陽性反応が出た。死亡した自治会長の司法解剖でも青酸反応が確認されたとされ、一時は「青酸による中毒死」と報じられ、県警も青酸化合物の出所を中心に捜査を進めた。

しかし、その後の詳細な鑑定で、吐瀉物中のチオシアン(タマネギなどに含まれる成分)が前処理で除去されておらず、試薬が青酸と誤って反応した偽陽性だったことが判明する。死亡した4人のうち、自治会長以外の遺体からは青酸化合物が検出されず、青酸を使った農薬など二次製品特有の成分も検出されなかったことから、「青酸中毒」という初期判断は修正されることになった。

改めて行われた鑑定では「副会長の胃内容物」「男児の吐瀉物」「女子高校生の食べ残しカレー」から、いずれもヒ素(亜ヒ酸)が検出され、4人全員の心臓血からもヒ素が検出された。捜査本部は10月5日付で、4人の死因を正式に「急性ヒ素中毒」と認定し、事件はヒ素による毒物混入事件として位置付けられた。

事件の捜査[21]

亜ヒ酸は当時すでに厳しく法規制される毒物であり、広く一般家庭に存在するようなものではなかった。捜査によって、調理時に使用されたごみ袋の中から見つかった青色紙コップの付着物からヒ素が検出され、毒物はこの紙コップにより調理場所のガレージで混入された可能性が高いと見られるようになった。    

その過程で浮上したのが、林眞須美とその夫の健治であった。林家は過去に白アリ駆除業[注 6]に関わっており、業務上、亜ヒ酸を扱いうる立場にあった。捜査本部は園部地区周辺における亜ヒ酸の所在を洗い直し、林家関係先の確認を進めた。その結果、1998年8月30日には林の実兄から、灰白色粉末が入った緑色ドラム缶、ミルク缶、「重」と記された缶が任意提出され、9月30日にはプラスチック容器も提出された。

同時に、当日の行動確認も進んだ。関係者の供述整理により、亜ヒ酸の混入は7月25日午後12時20分ころから午後1時ころまでの間に行われた可能性が高いとされ、その時間帯には林眞須美がカレー鍋の見張りを担当し、単独で鍋の近くにいる時間があったことが重視された。さらに、道路の方をしきりに気にしながら鍋のふたを開けていたという不審な動きについての目撃証言もあった。捜査本部は、亜ヒ酸を入手できて、かつ東鍋に手を加え得た人物という条件が眞須美に一致すると見るようになった。

さらに捜査本部は、林家周辺で過去に起きていた中毒事案にも目を向けた。事件後まもない8月初旬には、すでに林家に居候していた人物が何度も救急搬送されたことがあるなどの情報を踏まえた事情聴取が始まっており、捜査本部は、カレー毒物混入事件単独ではなく、林家周辺で以前から繰り返されてきたヒ素事案の延長線上に今回の事件があるのではないかという見方を強めていった。  なお、眞須美はマスコミの取材に対して、自身の詐欺行為も否定した上で、「ヒ素を扱ったり、見たことはない」「健治の白アリ駆除業でも使用していない」と虚偽の説明をしている。[24]

1998年10月4日、捜査本部は知人男性Iに対する殺人未遂と保険金詐欺容疑で眞須美を逮捕した。

同年12月9日には、カレー毒物混入事件についても殺人、殺人未遂容疑で再逮捕し、同月29日に起訴した。  

当局が眞須美をカレー毒物混入事件の犯人と断定した主な理由[25]

  1. カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜ヒ酸が、眞須美の自宅等から発見された。
  2. 眞須美の頭髪からも高濃度のヒ素が検出され、その付着状況から亜ヒ酸等を取り扱っていたと推認できる。
  3. 夏祭り当日、眞須美のみが上記カレーの入った鍋に亜ヒ酸をひそかに混入する機会を有しており、その際、眞須美が調理済みのカレーの入った鍋のふたを開けるなどの不審な挙動をしていたことも目撃されている。
  4. カレー毒物混入事件に先立って、ヒ素や睡眠薬を使用した殺人行為を何度も実行していた。
概要 林 眞須美, 生誕 ...
林 眞須美
生誕 (1961-07-22) 1961年7月22日(64歳)[18]
日本の旗 日本和歌山県有田市(矢櫃地区)[26]
住居 日本の旗 日本・和歌山県和歌山市園部1014番地の1(逮捕当時)[22]
職業 元保険外交員[27]
刑罰 絞首刑未執行
配偶者 林 健治[27]
有罪判決 死刑確定:2009年5月19日)[9][10]
殺人
犯行期間
1998年7月25日–同日
日本の旗 日本
都道府県 和歌山県
死者 4人
負傷者 63人
凶器 亜ヒ酸
逮捕日
1998年10月4日[27]
収監場所 大阪拘置所[18](2020年9月27日時点)[17]
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逮捕までの経歴[20]

眞須美は1961年7月22日、和歌山県有田市で、漁業を営む父と保険外交員の母の長女として生まれた。地元高校卒業後の1980年4月、大阪府狭山市内の看護学校に進学して、在学中の1981年夏ころに健治と知り合って交際を始め、卒業後の1983年5月2日に結婚した。二人の間には、1984年2月に長女、1985年1月に二女、1987年8月に長男、1993年11月に三女が生まれた。

健治は1979年ころから和歌山市内の白アリ駆除業者の下で働き、1983年ころに独立して「H工芸」などの名称で白アリ駆除業を営むようになった。そのころにはドラム缶入りの亜ヒ酸約50kgを購入し、白アリ駆除用薬剤として使用していた。健治は従業員らに亜ヒ酸の危険性を繰り返し注意しており、作業中の誤摂取事故はなかった。眞須美もまた、亜ヒ酸が少量でも人を死亡させ得る猛毒であることを知っていた。

眞須美は1983年3月から1985年9月にかけて従業員Yを被保険者とする生命保険3口・計4500万円を締結していた。そうしたところ、1985年11月、Yは急性ヒ素中毒により死亡した。その後、林夫婦はYに関する死亡保険金など約3200万円を取得した。

さらに、1986年6月に新たに雇い入れた従業員Mについても、同年7月、Mを被保険者とする生命保険を締結していたところ、Mは1987年2月に急性ヒ素中毒にり患して重い神経症状を発症した。その後、林夫婦はMに関する高度障害保険金など約3000万円を取得した。

健治についても、眞須美は1986年2月から同年12月にかけて生命保険3口・計2億円を締結していたところ、健治は1988年3月に急性ヒ素中毒にり患して重い神経症状を発症した。その後、林夫婦は健治に関する高度障害保険金など約2億円を取得した。

1990年4月以降、眞須美は保険外交員として働くようになった。一方で、1988年に体調を崩して以後、健治は現場に出なくなり、白アリ駆除業は次第に縮小し、1992年4月ころには従業員が全員辞めて事実上廃業した。そのころには、健治は麻雀や競輪に明け暮れる生活を送り、仕事は全くしなくなっていた。

以後、眞須美は健治や麻雀仲間のIらを被保険者とする保険契約を次々と締結した。眞須美が負担する保険料は、1989年には年約3000万円、その後も1990年と1998年を除いて毎年1000万円を超え、1997年には約5000万円に及んだ。

取得した保険金も多額に上り、保険料の支払いに充てられたほか、不動産、車両、装飾品の購入などにも消費され、1995年から1997年までの年間支出は約1億2000万円から1億7000万円に達していた。

1993年5月、健治は親戚が経営する旅館で転倒し右膝蓋骨を骨折したが、林夫婦は原付バイクの運転中に転倒して受傷したかのように偽り、保険金など約2000万円をだまし取った。

また、1996年2月に眞須美が両脚に火傷を負った際にも、自転車で転倒して炭火の中に落ちたかのように偽り、同年8月に入院給付金など計460万円をだまし取ったほか、後遺障害保険金など約7400万円を請求したが、支払いを拒否され未遂に終わった。

同年10月には眞須美の実母が死亡した。その後、林夫婦は実母に関する死亡保険金など約1億3800万円を取得した。

同年末には保険外交員の仕事も辞め、以後、林家で継続的に収入を得る者はいなくなった。

一方、眞須美は1994年4月から1996年3月までの間に、健治を被保険者とする生命保険4口・計1億4000万円を締結していた。

健治は1995年8月ころに激しいおう吐等の腹部症状を発症して入院し、その入院給付金として約110万円が支払われた。

その後、健治は1997年1月にも激しいおう吐等の腹部症状を発症して入院した。

そして同年2月6日に眞須美は、入院先から一時帰宅した健治にヒ素入りくず湯を食べさせた。健治は一命を取り留めたものの、急性ヒ素中毒により重い神経症状を発症した。

林夫婦は症状を重く偽って、健治に関する高度障害保険金など約1億3700万円をだまし取った。

また、健治は1996年2月に眞須美が火傷を負ったことを機に、麻雀仲間のIを自宅に住まわせるようになった。

眞須美はそれ以前からIを被保険者とする生命保険や年金保険契約を締結していたが、同居後も簡易生命保険や農協の生命共済などを次々と契約した。また、Iを被保険者とする4口の生命保険を同時に契約しようとして、保険会社に拒否されるということもあった。

Iは1996年6月下旬ころ、医師から睡眠時無呼吸症候群と診断されて睡眠薬の使用を止められていたが、その直後の同年7月2日以降、眞須美らと行動をともにした際などに10回も意識消失を繰り返すようになった。このうち少なくとも2回は眞須美が関与して睡眠薬を摂取させたものと認められている。

眞須美は、1997年9月22日、Iにヒ素入り牛丼を食べさせ、同年10月12日にはヒ素入り麻婆豆腐を食べさせた。Iはこれらにより約4か月間入院し、眞須美はその原因を隠して、1997年12月から1998年5月にかけて入院給付金など約540万円をだまし取った。

さらに1998年3月28日夜、眞須美はIにヒ素入りうどんを食べさせた。その直後、林夫婦はIにバイク事故偽装を強要して実行させた。

その後、Iは不審を抱いて林家に寄り付かなくなったが、眞須美はIとの保険契約を維持し、1998年7月時点でIに関する保険は10口、健治については8口、知人男性Dについては9口に及んでいた。

Dは1998年5月と7月の2回にわたり意識消失を起こした。このうち同年5月分は第三者が睡眠薬を摂取させたものと認められている。

さらに、眞須美は他の麻雀仲間や親戚らにも複数の保険を掛けており、1998年7月25日時点で管理していた保険契約などは計41口、負担していた保険料は月額換算で約64万円に達していた。

その一方で、眞須美夫婦は1996年12月以降は定職に就かず定期収入もなかったが、生活はなお贅沢で、1998年以降も2度にわたり自宅をリフォームしたほか、同年3月には約6300万円のリゾートマンションを健治に内緒で購入し、その残金約5700万円を翌1999年4月に支払う予定となっていた。預金残高は約4850万円であったが、債務が約7700万円残っており、約2850万円の借入れ超過の状態であった。

こうした中、1998年7月25日、眞須美は夏祭りで提供されるカレーの中に殺意を持ってヒ素を混入し、これを食べた住民67名を急性ヒ素中毒にり患させ、うち4名を殺害し、63名については殺害するに至らなかったカレー毒物混入事件を引き起こした。

刑事裁判の経緯

第一審

眞須美は保険金詐欺の一部以外は容疑を黙秘したまま裁判へと臨んだ[注 7]。1審の開廷数は95回、約3年7か月に及んだ。

死刑判決

2002年12月11日に開かれた第一審判決公判で和歌山地裁は、カレー毒物混入事件、保険金殺人未遂事件3件、保険金詐欺事件4件について有罪とし、求刑通り被告人・林に死刑を言い渡した[注 8][13] 有罪認定の理由は以下の通り。

⑴関係亜ヒ酸の同一性が認められること[21]

⑴事件当時からヒ素は毒物及び劇物取締法によって厳格に規制されており、およそ通常の社会生活で手にするようなものではない。

⑵眞須美周辺から発見された嫌疑亜ヒ酸[注 9]とカレー鍋から検出された亜ヒ酸は、原料鉱石由来の微量元素の構成が酷似している。

⑶他社製品等に嫌疑亜ヒ酸と同じ特徴を備えた亜ヒ酸は存在せず、嫌疑亜ヒ酸は製造段階において同一である。

⑷関係亜ヒ酸は、製造後の環境(本件では白アリ駆除業)に由来するバリウム[注 10]をも共通して含んでいる。

以上の事実から、カレー鍋から検出された亜ヒ酸は青紙コップを介して混入された嫌疑亜ヒ酸である可能性がきわめて高いとされた。なお、のちの再審請求審にて裁判所は、⑶〜⑷について、「相当性を欠く点があって、異同識別3鑑定の証明力が低下した」と弁護側の主張を一部認めた。そのうえで、「その低下はきわめて限定的であり、原料由来の微量元素の構成が酷似している点についてはいささかも動揺していない。嫌疑亜ヒ酸とカレー鍋から検出された亜ヒ酸の組成上の特徴は同じであって、鑑定結果が眞須美の犯人性を示す重要証拠であることに何ら変わりはない」とした[28]

⑵眞須美のみが犯行可能な状況であったこと[21]

調理中のガレージ(8時30分ごろ〜12時過ぎ)

⑴ガレージ内のカレー鍋の付近には常に複数の住民がいて、不審者も目撃されなかった。

⑵調理後に味見をして、夏祭り中にカレーを食べなかった住民の尿中ヒ素濃度は正常であって、被害者たちとの差は顕著であった。

以上の事実から、午前中のガレージ内で混入された可能性はないとした。

見張り当番中のガレージ(12時過ぎ〜15時ごろ)

⑴事前に午後からは班長が1時間交代で見張り当番をすると定められていた[注 3]が、眞須美と組む流れだった住民Aが気まずさから帰宅した[注 4]ために、眞須美は12時20分ごろ〜13時ごろまでの約40分間1人で見張りをしていた。

⑵他に3人の住民(A〜C)が1人で見張りをしていた時間が存在するが、いつ他の見張りの住民が来るか分からない状態の数分程度の時間であって、自身や家族も被害を受けており、亜ヒ酸との接点も確認されなかった。

以上の事実から、眞須美が1人で見張りをしていた時間帯にヒ素が混入された可能性が高いとした。

夏祭り会場(15時ごろ〜)

⑴ほとんどの時間帯についてカレー鍋付近に複数の住民がいて、不審者も目撃されなかった。

⑵自治会住民と亜ヒ酸との接点は確認されていない。

⑶夏祭りを準備している自治会住民が多い、会場の中央にあるテント内にあるカレー鍋に接近し、蓋を取ってヒ素を混入する行為は犯人にとって非常にリスクが高い。

⑷犯行に使用された青紙コップは、調理の際に使用されたゴミ袋内から発見されており、ゴミ袋の状況等からガレージ内で投棄されたとしか考えられない[注 11]

⑸運営の仕事で夏祭り中にカレーを食べられない自治会住民が、夏祭り開始直前にカレーを食べて急性ヒ素中毒に陥っていた。

以上の事実から、夏祭り会場でのカレー鍋周辺の詳細な人の動きまでは確定できないが、夏祭り会場にカレー鍋が運ばれたあとにヒ素が混入された可能性はないとした。なお、ヒ素が混入されたとみられるあとに、鍋のカレーを味見して無事だった住民がいたが、それはしゃもじについた、味も分からないほどの微量を指先で舐めた程度であったためである。

⑶見張り当番中に不審な行動をしていたこと[21]

⑴12時20分ごろ、眞須美はペアを組む流れであった住民Aと入れ替わる形で、ガレージで1人で鍋の見張り当番を始めた。ガレージから帰る住民Aと入れ違うように次女がガレージに来たが、すぐに次女はガレージから出ていった。これと前後して、ガレージ内にいた長男と三女もガレージから出ていった。

⑵その後に眞須美は、西鍋の上に載っている段ボールやアルミホイルの蓋を外し、中を覗き込むなどした。その際にガレージの奥側を東西に行ったり来たりしながら、道路の方を気にするように何回も見ていた。

⑶眞須美は、⑴か⑵の後にガレージを一時留守にし、その後またガレージに戻った。

⑷その後、次女が再びガレージに来て、住民Bが13時ごろにガレージに来たときには、眞須美と次女の2人で見張りをしていた。

証拠から以上の事実が認められた。なお、次女のガレージの状況に関する証言は、矛盾や捜査段階での食い違いがあることから信用性を否定した。

⑷亜ヒ酸との密接な繋がりが認められること[21]

⑴林家の台所下タッパー[注 12]、排水管、麻雀部屋の埃などから亜ヒ酸が検出された。

⑵林家の旧宅のガレージから亜ヒ酸が発見された。

※林夫婦と林家旧宅の現居住者(知人男性T)は交流がある[注 13]うえに、旧宅ガレージは林家の荷物が残されていて、眞須美は容易に目的を隠して亜ヒ酸を持ち出すことが可能な状況であった。

⑶眞須美の実兄宅に亜ヒ酸が保管されていた。

※当初、実兄は保管の事実を隠して眞須美をかばっていたが、やがて事実を言うべきだとの心境に至り、警察官に保管の旨を申告した。

⑷眞須美の毛髪からは、通常では付着するはずのない3価の無機ヒ素の外部付着が認められた。

以上の事実から、眞須美は亜ヒ酸ときわめて密接な関係にあって、容易に入手しうる立場にあったとした。なお、健治の白アリ駆除業[注 6]は、園部に引っ越す3年前に廃業していて、ヒ素は眞須美の実兄に引き取られていた。そして、白アリ駆除工事等で園部の林宅にヒ素が持ち込まれる合理的な理由は存在せず、健治が持ち込んだ事実も認められなかった。健治は眞須美からヒ素を摂取された被害者でもあり、自身が急性ヒ素中毒であったことも知らず、ヒ素とは無関係の生活をしていた。

⑸カレー毒物混入事件以外にも、人を殺害する道具としてヒ素を使用した事実があること[21]

眞須美はカレー事件発生前の約1年6か月の間に、無断で知人男性Iに生命保険をかけるなどした上で、死亡保険金詐取目的で合計4回も他人の飲食物にヒ素を混入させていた。この事実は、社会生活において存在自体がきわめて稀少である猛毒のヒ素を、人を殺害する道具として使っていたという点で眞須美以外の事件関係者には認められない特徴であった。また、この金銭目的でのヒ素使用事件と他の睡眠薬使用事件を総合して、「人の命を奪ってはならないという規範意識や、人に対してヒ素を使うことへの抵抗感がかなり薄らいでいた事実の表れである」とした。

⑹第三者によるヒ素混入の可能性が認められないこと[21]

⑴知人男性Tなどの嫌疑亜ヒ酸と繋がりがある人物は、事件当日に現場付近に来ていなかった。

⑵健治はガレージ付近で目撃されていなかった。また、自身が急性ヒ素中毒であったことも知らず、後遺症で単独歩行が困難な状態でもあった。前述の通り、事件当時もヒ素とは無関係な生活をしていた[注 14]

⑶前述の通り、亜ヒ酸と繋がりがある自治会住民は見当たらなかった。

(7)その他の事情[21]

⑴見張り当番中に次女がカレーの味見をしていた[注 15]のに、カレー毒物混入事件発生後同女に検査を受けさせるなどの配慮をしていなかった。

⑵眞須美は、カレーからヒ素が検出された事実が報道された直後に、事件前に嫌疑亜ヒ酸を預けていた実兄に、林家ではヒ素は使っていなかったことにするように依頼した。

⑶眞須美が住民Bと見張り当番を交代した際、「座っとっただけやで」「蓋も取ってないし味も見てへんよ」などと殊更に虚偽の事実を告げた。

⑷班長の立場にありながら、夏祭りの運営の仕事を断り、深夜までカラオケに出かけていた。

⑸夕食としてレトルトのカレーを自身の子供たちに食べさせ、夏祭りカレーの無料引換券を住民Dに渡して処分した。

⑹1998年8月2日および同月4日に警察官から事情聴取を受けた際、同警察官から尋ねられたわけではないのに、住民Eが紙コップを使っていた旨を告げた。

和歌山地裁は、⑴〜⑵についてのみ「いずれも不自然な行動であって、被告人が同事件の犯人であることと結びつきやすい事実である」と判示した[21]。その一方で大阪高裁は、⑶〜⑹も含むすべてについて「被告人の犯人性を否定ないしこれと矛盾する事実が存在しないことと相まって、その認定をより確実にするものというべきである」と判示した[20]

結論[21]

裁判所は、主に上記の事実を総合して、カレー毒物混入事件の犯人は眞須美であると断定した。殺意についても、「被告人がこれまでに使ったことはないであろう(少なくとも)紙コップ半分以上という多量の亜ヒ酸を鍋に混入したのであるから、被告人が、カレー毒物混入事件において、死の結果発生の可能性を低く考えていたとは到底考えられない」として未必的な殺意を認定した。動機については未解明とされた[注 16]。そのうえで、「4人もの命が奪われた結果はあまりにも重大で、遺族の悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきである」と断罪し、極刑は止むを得ないとの結論の上「被告人を死刑に処する」と主文を宣告した[21]

眞須美は判決を不服として、同日中に大阪高等裁判所控訴[13]。同月26日、身柄を丸の内拘置支所から大阪拘置所へ移送された[9]

一方、保険金詐欺事件3件[注 17]の共犯として、詐欺罪で起訴された健治は、2000年10月20日に和歌山地裁で懲役6年(求刑:懲役8年)の実刑判決を言い渡された[注 18][31][29]。判決は、眞須美の中心的役割を認めながらも、健治も保険金を支払わせる目的で大きな役割を果たしたと認定した[29]。和歌山地検[32]、健治ともに控訴せず、確定した[33]。健治は滋賀刑務所に服役し、2005年6月7日に刑期を満了して出所した[34]

控訴審

逮捕から第一審判決まで貫いた黙秘から転じ、眞須美は供述を始めた。大阪高裁での控訴審初公判は2004年(平成16年)4月20日に開かれ[35]、結審まで12回を要した。2005年6月28日の控訴審判決公判で、大阪高裁第4刑事部[20]は、被告人・眞須美の控訴審供述について、「証拠や第一審判決を見て容易に弁解ができる状況でなされており、基本的に信用しがたい」とした。そのうえで、個別に証拠や第一審段階までの主張との矛盾を指摘し、「眞須美の当審供述内容は、証拠との矛盾や不自然な点に満ちていると評価せざるを得ない」として信用性を否定。そのうえで、「カレー事件の犯人であることに疑いの余地はない」として、第一審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した[14]。弁護側は判決を不服として同日付で最高裁判所上告した[14]

また、弁護側は、一連の保険金殺人未遂事件について、「いずれも保険金詐欺を目的に被害者自らヒ素を飲んだものであって、殺人未遂罪は成立しない」という新主張を展開した。しかしこれは、①分離後の健治の公判で眞須美自身がした証言のほとんどが虚偽だったこと、②健治らが急性ヒ素中毒であったのは当然であったはずなのに、それを否認して弁護士に争わせるなどして、まったく無駄な行動を強いていたことを前提とするものであった。しかも、第一審判決から1年数か月も経過した2004年4月ごろに至るまで、眞須美は弁護士にすらこの主張を明かさなかった。大阪高裁は新主張について、「供述の時期や経緯からして不自然なうえに、証拠と矛盾する点を数多く含んでおり、まったく信用できない」として退けた[20]

上告審

直接証拠も自白もなく黙秘権を行使し、動機の解明もできていない状況の中、弁護側が「地域住民に対して無差別殺人を行う動機はまったくない」と主張したのに対し、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は、2009年(平成21年)4月21日の判決で、①カレー鍋から検出された亜ヒ酸と組成上の特徴が同じ亜ヒ酸が眞須美周辺で発見されたこと②眞須美が亜ヒ酸を取り扱っていたこと③眞須美のみが犯行可能な状況であり、しかも見張り当番中に不審な行動をしていたことなどを総合して、カレー事件の犯人であると断定した。そして、「無差別殺人の結果から、4人の命が失われて重症者も多数に及んだ。後遺症に苦しんでる者もいて結果は重大である。長年にわたって保険金絡みの殺人未遂や詐欺を繰り返していて犯罪性向も根深い。詐欺事件の一部以外は大半の事件について犯行を否認しており、反省も賠償もしておらず、死刑はやむを得ない」と述べ、弁護側の上告を棄却した[15]

被告人・眞須美は、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが[36]、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却され[6]、翌日(2009年5月19日)付で林の死刑が確定[9][10]。これにより林は、戦後日本では11人目の女性死刑囚となり[16][37]、同年6月3日以降は死刑確定者処遇に切り替わった[9]

余罪

カレー毒物混入事件とは別に、検察側は、眞須美を保険金詐欺4件[38]およびヒ素を使用した保険金目的の殺人未遂4件で起訴した。さらに、ヒ素使用事件7件、睡眠薬使用事件12件を類似事実[注 19]として立証し、保険金目的の殺人、殺人未遂事件が計23件に及ぶと主張した。

これに対し裁判所は、保険金詐欺4件、ヒ素使用による殺人未遂3件を有罪とし、さらに類似事実のうち、ヒ素使用事件1件、睡眠薬使用事件2件についても眞須美の犯行と認定した。

また裁判所は、これら一連の犯行から、眞須美は他人にヒ素を使用することへの抵抗感がかなり薄らいでおり、ヒ素は決して発覚せずに生命を奪うことのできる手段として位置付けられていたと認定した。[39][40]

裁判所が眞須美の犯行と認定した事件[21][20]

【1】1993年5月18日の旅館内での負傷について、健治と共謀の上、受傷原因を偽って保険金約2000万円をだまし取った詐欺罪(旅館事件)

【2】1996年2月13日の火傷について、健治と共謀の上、原因や傷病の程度を偽って入院給付金460万円をだまし取り、さらに後遺障害保険金等7400万円をだまし取ろうとした詐欺、詐欺未遂罪(眞須美火傷事件)

【3】1997年2月6日、死亡保険金を詐取する目的で健治を殺害しようと企て、ヒ素入りくず湯を食べさせた殺人未遂罪(健治くず湯事件)

【4】健治くず湯事件の急性ヒ素中毒について、健治と共謀の上、健治が高度障害状態になったように偽り、高度障害保険金等約1億3700万円をだまし取った詐欺罪(健治高度障害事件)

【5】1997年9月22日、死亡保険金を詐取する目的でIを殺害しようと企て、ヒ素入り牛丼を食べさせた殺人未遂罪(I牛丼事件)

【6】I牛丼事件の急性ヒ素中毒について、その原因を偽って入院給付金等約540万円をだまし取った詐欺罪(I入院給付金事件)

【7】1997年10月12日、Iにヒ素入り麻婆豆腐を食べさせた類似事実(I麻婆豆腐事件)

【8】1997年11月24日、Iに睡眠薬を摂取させて意識消失を生じさせた類似事実(7回目)

【9】1998年3月12日、Iに睡眠薬を摂取させて意識消失を生じさせた類似事実(10回目)

【10】1998年3月28日、死亡保険金を詐取する目的でIを殺害しようと企て、ヒ素入りうどんを食べさせた殺人未遂罪(Iうどん事件)

裁判所が眞須美の犯行と認定しなかった事件[21][41]

【1】1985年11月上旬ころ、従業員Yが急性ヒ素中毒にり患し、同月20日に死亡した(Y急性ヒ素中毒事件)

【2】1987年2月14日、従業員Mが急性ヒ素中毒にり患した(M急性ヒ素中毒事件)

【3】1988年3月、健治が急性ヒ素中毒にり患した(健治急性ヒ素中毒事件)

【4】1988年5月10日、健治の病室を訪れた知人男性Tが、眞須美が差し入れた中華総菜を食べて急性ヒ素中毒にり患した(T急性ヒ素中毒事件)

【5】1995年8月上旬ころ、健治が腹部症状を発症したが、急性ヒ素中毒にり患したとまでは認定されなかった(1995年健治事件)

【6】1996年7月2日、知人男性Iが眞須美らとカラオケ店でコークハイを飲んだ後、意識を失った(1回目)

【7】1996年9月8日、Iが眞須美らとカラオケ店でコークハイを飲んだ後、意識を失った(2回目)

【8】1996年11月ころ、Iが眞須美から提供された物を飲食した後、意識を失った(3回目)

【9】1996年12月31日ころ、Iが眞須美から提供された物を飲食した後、意識を失った(4回目)

【10】1997年1月末ころ、Iが眞須美から提供された物を飲食した後、意識を失った(5回目)

【11】1997年1月29日、健治が腹部症状を発症したが、急性ヒ素中毒にり患したとまでは認定されなかった(1997年1月健治事件)

【12】1997年9月ころ、Iが眞須美らと競輪場に行った際、意識を失った(6回目)

【13】1997年10月19日、Iが中華丼を食べた後に腹部症状を発症したが、急性ヒ素中毒にり患したとまでは認定されなかった(I中華丼事件)

【14】1998年1月22日ころ、Iが眞須美から提供された飲み物を飲んだ後、意識を失った(8回目)

【15】1998年2月3日ころ、Iが眞須美から提供された飲み物を飲んだ後、意識を失った(9回目)

【16】1998年5月2日、知人男性Dが眞須美らと病院内の喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ後、意識を失い自損事故を起こした(1回目)

【17】1998年7月2日、Dが眞須美と喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ後、意識を失い負傷した(2回目)

保険金詐欺、詐欺未遂事件[21][20]

旅館事件

1993年5月18日、夫の健治は親戚が経営する旅館を訪れた際、館内2階トイレで転倒して右膝骨折の重傷を負い、約4か月の入院加療を受けた。裁判所はいずれも、旅館関係者らの証言、診療記録の内容から、骨折はこの転倒によって生じた偶発的事故であると認定している。他方で、林夫婦は、より高額の保険金が支払われる交通傷害保険を利用する目的で、この事故を「原動機付自転車を運転中に転倒した交通事故」と原因を偽り、後遺傷害保険金等約2000万円をだまし取った。

控訴審では、弁護側から「旅館では打撲程度の軽傷しか負わず、自宅に戻ってからIに金属バットで膝を叩き折らせた」とする新主張がなされたが、裁判所は、旅館側の証言や健治自身の過去の供述とも整合せず、供述が控訴審段階になって突如変更された経緯も含めて不自然、不合理であるとして信用性を否定し、健治が保険金目的で自らヒ素を飲む危険を冒す人物であるとする弁護側の主張を補強するための後付けの供述と判示された。

なお、本件について、林夫婦は詐欺の成立自体は争っていない。

眞須美火傷事件

1996年2月13日、眞須美は自宅で両下肢に重度の熱傷を負い、長期入院と手術を受けた。当初、受傷原因は「台所で鍋の熱湯を誤って足にかぶった家事事故」と説明されていたが、その後、交通傷害保険の支払条件に合わせるため、健治と共謀して「自転車でバーベキューの炭火側に転倒し、そこにかけてあった鍋の湯をかぶった」という転倒事故に原因を偽った。

なお、林夫婦の供述が信用できないと判示されており、火傷の真の原因は特定されていない。

その後、虚偽の事故状況を自ら診断書用紙に下書きして医師に転記させるなどして、虚偽の診断書等を保険会社に提出した。この結果、入院給付金等約460万円をだまし取り、さらに両下肢機能全廃などと実際よりはるかに重い後遺障害を装って総額約7400万円の後遺障害保険金をだまし取ろうとしたが、支払いは拒否され、後遺障害部分については詐欺未遂とされた。

控訴審では、弁護側から「高額な保険金を得るために自ら足に熱湯をかけた」「診察時に重症を装うため事前に降圧剤を飲んだ」とする新主張がなされたが、これらは診療記録や当時の行動経過と矛盾し、やはり控訴審になって初めて持ち出された点でも不自然であるとして、裁判所は信用性を認めず、旅館事件同様に、健治が保険金目的で自らヒ素を飲む危険を冒す人物であるとする弁護側の主張を補強するための後付けの供述と判示された。

なお、本件について、林夫婦は詐欺の成立自体は争っていない。

健治高度障害事件

1997年2月6日、眞須美は健治にヒ素入りのくず湯をに食べさせ、急性ヒ素中毒によるおう吐等を発症させた。健治は一時は生命に危険のある状態に陥った上に、重い神経症状を発症した。

その後、林夫婦は、健治の症状がある程度改善していたにもかかわらず、両手足が完全に動かなくなったかの様に装って高度障害保険金等を取得しようと企て、1997年11月〜12月にかけて、虚偽の障害診断書等を保険会社に提出した。これにより、高度障害保険金等約1億3700万円をだまし取った。

控訴審では、弁護側から「健治自身が保険金目的で自らヒ素を摂取した」とする新主張がなされたが、裁判所は証拠や過去の供述の矛盾から信用性を否定した。

なお、本件について、林夫婦は詐欺の成立自体は争っていない。

I入院給付金事件

1997年9月22日、眞須美は知人男性Iにヒ素入りの牛丼を食べさせ、急性ヒ素中毒によるおう吐等を発症させた。Iは9月24日から1998年1月20日まで病院に入院し、1月30日と2月10日に通院した。

真実は、眞須美自身の行為によって生じた傷病であり、保険約款上、保険会社側が支払を拒絶し得る事由に当たっていたのに、その事情を隠して、Iが急性胃腸炎により入院治療を受けた旨の入院証明書等を提出し、これにより、入院給付金等約540万円をだまし取った。

第一審で、弁護側は「Iが保険金不正取得に一定程度関与しており、自身の疾患が作為的に作出されたことを認識していた可能性がある」と主張したが、裁判所は、Iの協力は既に生じている傷病を前提とした原因や症状の偽装、入退院の引き延ばしの範囲にとどまり、生命、身体に重大な危険を伴う傷病の作出まで了解していたとは認められないとした。さらに、Iは不審を抱いて林家に寄り付かなくなった1998年3月までは、自己の症状が第三者の作為により作出されたものとは認識していなかったと認定。弁護側の主張を退けた。

その上で、牛丼の喫食状況、診療記録等を総合し、殺人未遂罪、詐欺罪で有罪とした。

控訴審では、弁護側から「I自身が保険金目的で自らヒ素を摂取した」という新主張がなされたが、裁判所は証拠や過去の供述の矛盾から信用性を否定した。

夫・健治に対する殺人行為[21][20]

健治は、1979年から和歌山市内の白アリ駆除業者の下で働き、その後、眞須美と結婚した1983年に独立して、「H工芸」等の名称で白アリ駆除業を営むようになった。独立後は従業員を雇い、そのころにはドラム缶入りの亜ヒ酸約50kgを購入し、白アリ駆除用薬剤として使用していた。健治は従業員らに亜ヒ酸の危険性を繰り返し注意しており、作業中の誤摂取事故はなかった。眞須美もまた、亜ヒ酸が少量でも人を死亡させ得る猛毒であることを知っていた。

健治は、看護学校在学中の眞須美と知り合い、眞須美の卒業直後に結婚して4人の子をもうけた。交際当初、健治は眞須美に対して独身であると称し、年齢も偽っていた。結婚後は、自己中心的で短気な性格から、眞須美に対してたびたび暴力を振るっており、眞須美も周囲に結婚を後悔する趣旨の言動をしていた。裁判所は、健治に対する一連の犯行の背景として、保険金目的に加え、眞須美の健治に対する嫌悪の情があった可能性にも言及している。

保険関係では、健治を被保険者とする多数の高額な保険契約が締結された極めて不自然な状態に置かれていた。

そのなかで、健治は1988年に急性ヒ素中毒にり患し、重い神経症状を発症した。ただし、この1988年の事件については、健治が急性ヒ素中毒にり患したこと自体は認められたが、裁判所は眞須美の犯人性までは認めていない。

その後、林夫婦は症状を実際より重く偽って高度障害状態を装い、合計約2億円の高度障害保険金等を取得した。

1988年に体調を崩して以後、健治は現場に出なくなり、白アリ駆除業は次第に縮小し、1992年4月ころには従業員が全員辞めて事実上廃業した。そのころには、健治は麻雀や競輪に明け暮れる生活を送り、仕事は全くしなくなっていた。

その後も健治は、1995年8月に激しいおう吐等の腹部症状を発症して入院し、1997年1月29日にも激しいおう吐を繰り返して入院したが、これらの症状について、裁判所は急性ヒ素中毒の可能性はあるとしつつも、他の疾患の可能性を排除して急性ヒ素中毒にり患したとは認定できないとした。

いったん病状が改善して林家に一時帰宅した1997年2月6日には、眞須美が作ったヒ素入りのくず湯を食べた直後に腹部症状を発症し、一時は生命に危険のある状態に陥ったのち、重い神経症状を発症した。

その後、眞須美と健治は共謀し、症状を重く偽って高度障害状態を装い、合計約1億3700万円の高度障害保険金等を取得した。

カレー毒物混入事件後、これら症状のうち少なくとも1997年2月6日のくず湯事件については、眞須美が犯人であるヒ素使用事件によるものと認定された。健治は裁判時点でも歩行障害等の後遺症が残っている。

健治くず湯事件

1月29日に発生した腹部症状により、健治は入院していた。しかし、この症状について地裁は、急性ヒ素中毒の可能性があるものの、他の疾患の可能性を排除してまでは認定できないとした。

1997年2月6日昼、眞須美は入院先から一時帰宅した健治に、ヒ素入りのくず湯を食べさせた。健治はその約20分後から急に吐き気を訴え、病院に戻るなり激しいおう吐等の腹部症状を発症し、その後、一時は生命に危険のある状態に陥ったのち、重い神経症状を発症した。

和歌山地裁は、①当時の飲食状況からみて、健治が2月6日昼に食べたくず湯にヒ素が混入されていた可能性が極めて高いこと、②そのくず湯は眞須美が1人で作ったものであること、③眞須美はヒ素を入手し得る立場にあり、健治が自宅でくず湯以外から偶然にヒ素を摂取したとは考え難いこと、④健治を被保険者とする多額の生命保険契約が存在していたこと、⑤健治の死を期待する言動をしていたことを総合し、殺人未遂罪、高度障害保険金等約1億3700万円を詐取した詐欺罪で有罪とした。

また地裁は、Iの証言について、診療記録と符合する点が多く、全体として具体的で信用性が高いとした。これに対し健治の証言については、診療記録と明らかに矛盾し、矛盾点を指摘されると記録の方が誤っていると述べるなど、開き直った供述態度を示しているとして信用性を否定した。

一貫して眞須美をかばう健治の姿について、「1997年2月以降に眞須美から極めて過酷な被害を受け、また眞須美が健治に嫌悪の情を抱いていたことがうかがわれるのに、一貫してかばう姿勢を取り続けていることには痛々しさすら感じるが、眞須美を母とする4児の父としての複雑な胸中が推察される」とも判決で述べた。

控訴審では、弁護側は主張を変更し、「健治自身が保険金目的で自らヒ素を摂取したのであって、殺人未遂罪は成立しない」と主張し、健治もこれに沿う供述をした。

しかし大阪高裁は、①健治が初めてヒ素を摂取したとする日が他の証拠と矛盾すること、②ヒ素を「仮病薬」と呼び、医師を誤診させるための道具として使ったとする説明自体が不自然であること、③入院中の症状や言動を詐病とみるのは不自然で、むしろ当初から保険金詐取目的があったとの説明と整合しないこと、④ヒ素を管理・処分した経緯に関する供述が不自然で、他の証拠とも矛盾すること、⑤動機、経緯、態様が眞須美及び健治の性格や従前の行動等からみて不自然であることを指摘し、眞須美及び健治の当審供述はいずれも不自然で、他の証拠と矛盾抵触する点を数多く含み、全く信用できないとして排斥した。

最高裁もこの判断を維持している[6]

知人男性Iに対する殺人行為[21][20]

知人男性Iは元来、無口でおっとりしており要領が悪く、虚言や策略で他人をだますことに長けた人物ではないと、眞須美を含む周囲から一致して評されていた。Iは眞須美火傷事件を契機に頼まれ、1996年2月中旬から林家に住み込み、掃除や洗濯、麻雀の準備などの雑用を担っていた。

保険関係では、眞須美によりIに無断で、あるいは十分な理解や関与がないまま、Iを被保険者とする多数の高額な保険契約が締結された極めて不自然な状態に置かれていた。

林家の居候生活のなかで、Iは意識消失やおう吐等の腹部症状を繰り返し、入退院を重ねていた。1998年3月、眞須美が作ったヒ素入りのうどんを食べた後、林夫婦から原付で転倒して事故を装うよう強要され、車で追走され怒鳴られた末、やむなく転倒を余儀なくされ、救急搬送された。うどん摂取後の激しい腹部症状と相まって、林家に行けば死ぬとの強い恐怖を抱くようになり、以後、林家への出入りを断った。

その後、健治はIが林家に出入りしなくなったことに腹を立てていた。Iは、知人男性Dから駐車料金名目の約170万円の請求を受け、深夜の電話、内容証明郵便、自宅への来訪などの嫌がらせを受けた。さらに健治からも、「Dから嫌がらせを受けていないか」「警察に行っていないか」などと電話で動向を探られていた。Iは早く関係を断ち切りたい一心で、保険金請求手続への協力のための面会に、父親同席のもと警戒しつつ、最低限応じていた。

カレー毒物混入事件後、これらの症状は眞須美が犯人である睡眠薬使用事件、ヒ素使用事件によるものと認定された。Iは裁判時点でも感覚障害等が後遺症として残っている。

弁護側の「I自身が保険金目的で、自らヒ素を飲んだ」とする主張は、診療記録等の客観的証拠と矛盾しており、裁判において明確に否定されている。また、Iは健治から時折1〜2万円前後の小遣いを受け取る程度を除けば保険金などの経済的利得は一切得ていない。むしろ、消費者金融のカードを取り上げられて借入に利用されたり、「Iが女性に騙されて作った借金」とのIおよび眞須美側の説明のもと、父親が半信半疑のまま650万円を支払わされるなどしていた。

I意識消失事件

Iは1996年7月から1998年3月までの間に、計10回にわたり原因不明の意識消失状態に陥っていた。このうち4回については診療記録や病院関係者の証言により意識消失の発生が確認され、9回の事例については、Dが直接または間接にIの異常な状態を見聞きしていた。健治も、Iが何回かそのような状態に陥ったことがあったと認めている。

和歌山地裁は、1回目、7回目、9回目の意識消失ついて、①この3回の意識消失は診療記録から症状が睡眠薬の薬理作用と認められること、②発症時期が林家に居住していた期間に集中していること、③眞須美がハルシオン等の睡眠薬を相当数処方されていたこと、④保険金不正取得の動機が認められること、⑤眞須美がIの事故死を期待する言動をしていたこと、⑥Iが睡眠時無呼吸症候群のため睡眠薬の服用は自殺行為に等しいと医師から告げられていたことなどを総合し、Iが第三者により睡眠薬を摂取させられたと認定した。

そして7回目の意識消失については、健治が眞須美に内緒でIに現金約200万円の入金を依頼し、その後のバイク事故で紙幣の一部を失くした事実は、Iに事故を起こさせようとした者の行動とは整合しないとして、健治の関与を否定し、眞須美が自ら実行したか、または首謀した犯行であると認定した(類似事実)。

医学的証拠の不足により、睡眠薬の薬理作用の可能性はあっても断定はできないとされた残り7回の意識消失のうち、10回目の意識消失については、眞須美がIの意識障害を認識した上で後を追い、バイク事故直後に事故死を期待する発言をしていたことや、病院の診察でも異常所見が見られなかったと推認されることから、具体的態様は不明であるものの、睡眠薬の薬理作用による症状であり、少なくとも眞須美がその意識消失の作出に関与していたと認定した(類似事実)。

大阪高裁も、この判断を維持している。

I牛丼事件

1997年9月22日昼、眞須美はIにヒ素入りの牛丼を食べさせた。数時間後、Iは激しいおう吐等の腹部症状を発症し、翌23日に病院で点滴治療を受けたものの改善せず、24日には入院となった。診療記録から、この日にIが口にした食事はこの牛丼のみであったことが確認されている。

Iが「朝食抜きで牛丼がその日の最初の食事であった」と証言した点についても、Iの父親が「息子は元来朝食を食べない生活だった」と述べ、健治も「林家でもIは朝食をほとんど取らず、朝昼兼用のことが多かった」と証言しており、Iの証言は診療記録とあわせて生活実態とも合致しており、信用できると裁判所は判断した。

和歌山地裁は、①牛丼は眞須美が1人で用意したものであること、②Iが偶然ヒ素を摂取したと考えられる事情が全く存在しないこと、③眞須美がすでに夫・健治に対してヒ素を使用した殺人行為を実行していたこと、④I名義で多数の高額保険が掛けられていたことなどを総合し、殺人未遂罪、入院給付金等約540万円を詐取した詐欺罪で有罪とした。

大阪高裁、最高裁もこの判断を維持している[6]

I麻婆豆腐事件

Iは、牛丼事件で入院していた病院から、1997年10月11日に一時帰宅の許可を得て林家に外泊した。翌12日の夕方に、眞須美はIにヒ素入りの麻婆豆腐を食べさせた。Iはスプーン1杯程度しか食べなかったが、その約30分〜1時間後から何度もおう吐し、翌13日には「外泊中からみぞおちが痛く、1日に数回下痢をした」「病院に戻ってからも下痢が続いている」と医師や看護師に訴えており、その内容は診療記録にも記録されていた。このとき麻婆豆腐を食べた事実は、眞須美の遠縁で幼少時から付き合いがあった親類Nの証言でも裏付けられている。Nは、10月19日に林家で中華料理店から出前を取ろうとした際、Iが「先週、麻婆豆腐を食べてしんどくなったから、麻婆豆腐だけは嫌だ」「食べて戻した」といった趣旨を繰り返し訴え、メニューから外すよう強く頼んでいたと証言した。N自身、当初は眞須美をかばう供述をしていたが、眞須美の兄と相談して「真実を話すべきだ」と考え直し、その後は経緯を率直に述べるようになったと認められ、裁判所はいずれの証言も具体的で不自然な点がないとして信用性を肯定している。

和歌山地裁は、Iの症状経過が急性ヒ素中毒でみられる腹部症状とよく似ていることから、この麻婆豆腐事件についてもヒ素中毒によるものとみるのが自然だと評価した。そのうえで、①この日、Iが食べたものは眞須美の用意した麻婆豆腐だけであること、②眞須美がすでに牛丼事件でIに対してヒ素を使用した殺人行為を実行していたこと、③当時Iは退院間近で、牛丼事件による保険金の受給が失敗しそうな状況にあり、眞須美には合理的で強い動機があったこと、④I名義で多数の高額保険が掛けられていたことなどを総合し、眞須美がIの麻婆豆腐にヒ素を混入させたと認定した(類似事実)。

なお、検察側は10月19日にも眞須美がヒ素入りの中華丼をIに食べさせたと主張したが、裁判所は19日の症状が急性ヒ素中毒の可能性はあるが、他の疾患の可能性を排除してまでは認定できないとした。

大阪高裁もこの判断を維持している。

Iうどん事件

1998年3月28日夜、眞須美はIにヒ素入りのうどんを食べさせた。この日の夕方以降にIが口にした食事はこのうどんだけであった。翌29日未明、眞須美らはIに対し、原付バイクで転倒事故を起こすよう執拗に迫り、眞須美が「早よこけんかい」などと怒鳴りながら車で追走するなどして、事故の偽装を強要した。Iはやむなく転倒し、そのまま搬送先の病院で手当てを受けたが、その際に激しいおう吐等の腹部症状を発症した。その後、Iは「何か毒を盛られているのではないか」と身の危険を感じ、林家に寄り付かなくなった。

和歌山地裁は、①眞須美が用意したうどんにヒ素が混入されていた可能性が高いこと、②眞須美はヒ素と密接な接点があり容易に入手し得る立場にある一方で、Iが偶然ヒ素を摂取したと考えられる事情は見当たらないこと、③眞須美はすでにIに対してヒ素や睡眠薬を使用した殺人行為を実行していたこと、④うどんを食べさせた後に眞須美らが交通事故を装ってIを搬送させ、その結果Iが死亡すれば、2億円を超える保険金を取得し得る状況にあったこと、⑤夫の健治については、ヒ素を入手し得る立場にあり入院給付金レベルの動機を持っていたものの、自身も過去にヒ素を盛られた急性ヒ素中毒の被害者であり、自らの症状や後遺症をヒ素中毒によるものと認識していなかったことなどを総合し、眞須美がIのうどんにヒ素を混入させたと認定し、殺人未遂罪で有罪とした。

大阪高裁、最高裁もこの判断を維持している[6]

眞須美周辺の急性ヒ素中毒、意識消失事件[21][41]

Y急性ヒ素中毒事件

従業員Yは、健治が営んでいた白アリ駆除業「H工芸」の従業員であり、中心的な存在となっていた。Yの当時の生活状況については、元同僚が「週に2、3回は林家で食事をしていたと思う。体調を崩した後は、独身だったので4、5日ほど林家で療養していた」と証言した一方、健治は「林家で食事をしたことはほとんどなく、入院前に寝泊まりしていたこともないと思う」と証言した。

Yは1985年11月、激しいおう吐等の腹部症状を発症して入院し、同月20日に死亡した。診療記録には、10月中旬ないし下旬ころに古い麦茶を飲んだ後や、11月12日夕方ころにコーヒーを飲んだ後に吐き気やおう吐が出現した旨の記載があった。

保険関係では、Yを被保険者とする(あ)〜(う)の保険金合計4500万円の3口の契約が存在した。

裁判所は、これらの保険につき保険料負担や契約経過に不自然な点があるとし、特に(う)は既存の2口があるのに追加加入され、その2ヶ月後にYは死亡し、Yの母側に加入の事実すら知らせないまま保険金も一切渡していないことなどから、経営者保険としては到底考えられない不自然な加入であると指摘した。

Yの死亡後、保険(あ)(い)の保険金請求はY母名義で進められたが、振込先口座は眞須美が開設したY母名義口座で、保険金は眞須美側が取得した。これによりY母との間で民事訴訟に発展した。最終的には受領額の半額を返還する内容で和解が成立し、(う)の保険金と併せて眞須美らが取得した額は約3200万円であった。

和歌山地裁は、保存されていたYの臓器からヒ素が検出されたことや診療記録等から、Yが急性ヒ素中毒により死亡したと認定した。

その一方で、1985年11月当時のYの生活状況には不明な点が多く、白蟻駆除業務で使用していたヒ素がY方アパート内にも保管されていたことなどから、眞須美の犯人性を認めなかった。

一方で大阪高裁は、事件に関与していたか否かはともかく、眞須美は少なくともYが急性ヒ素中毒により死亡した事実を知っていたと認定した。

M急性ヒ素中毒事件

従業員Mは、自動車整備販売店に勤務していたが、1986年6月、健治に誘われて退職し、健治が営む白アリ駆除業「H工芸」で働くようになった。H工芸では主として現場に行く車の運転や準備作業に従事し、経験を要する亜ヒ酸の散布には携わっていなかったが、亜ヒ酸入り容器の運搬などを通じてヒ素に接触する機会はあった。

Mは1987年2月14日夜、林家でイカ入りのお好み焼きを食べ、その翌15日、激しいおう吐等の腹部症状を発症して入院した。その後、一時は両手足が動かせず寝たきりになるほどの重い神経症状を発症した。また、裁判時点でも歩行障害等の後遺症が残っている。

本人は、2月14日夜に食べたこのお好み焼きが原因ではないかと証言した。

保険関係では、Mは前職時代の1984年7月に保険金2000万円の保険(a)に加入していた。1986年7月には眞須美の紹介により、保険金3000万円の保険(え)に加入したが、保険料は当初から眞須美らが負担していた。1987年1月、この契約は「給料からの掛金支払いが無理になったため」として契約者および保険金受取人が健治に変更されたが、裁判所は、変更理由は虚偽であり、名義変更自体も不要かつ極めて不自然であったと認定した。

Mの発症後、眞須美らはMに実際以上に手足が動かないよう装わせて「回復不能」とする障害診断書を取得し、保険(え)から高度障害保険金等約3000万円を得た。この際、Mは後遺症と将来への不安から健治の指示に従った。その後は退職金名目で100万円から税金を差し引いた額のみが支払われ、雇用関係も解消された。

なお、M自身も保険(a)から高度障害保険金2000万円を取得している。

和歌山地裁は、診療記録等からMが急性ヒ素中毒にり患したと認定した。その一方で、眞須美に保険金不正取得目的が強く疑われることや、2月14日夜に林家でお好み焼きを食べたことなどを踏まえても、Mは仕事や林家の家事の関係でヒ素に触れる機会があり、お好み焼き以外からの誤摂取の可能性も排除できないとして、眞須美の犯人性を認めなかった。また地裁は、M証言のうち症状に関する部分は概ね信用できる一方、お好み焼きの具体的状況や授受状況に関する部分には信用性に疑問があるとした。

一方で大阪高裁は、事件に関与していたか否かはともかく、眞須美は少なくともMが急性ヒ素中毒により重い神経症状が生じた事実を知っていたと認定した。

T急性ヒ素中毒事件

知人男性Tは健治の関係者であり、後に林夫婦から和歌山市内の林家旧宅を約3000万円で購入し、1995年6月に入居した人物である。なお、1984年秋に林夫婦が購入した際の額は2800万円であった。

1988年4月28日、食欲不振、吐き気等を訴えて病院を受診し、胃潰瘍で入院した。

当時、同病院には健治も入院しており、健治が同年3月中旬以降にヒ素を異常摂取して急性ヒ素中毒にり患したこと自体は認定されたが、眞須美の犯人性は認められていない。

Tは入院後、点滴や投薬によりいったん症状が安定し、担当医師も当初は緊急手術を要する状態ではないと判断していた。しかし、1988年5月10日夕方、健治の病室で外部から持ち込まれた酢豚と餃子を健治から分けてもらって食べた後、同日午後10時ころから激しいおう吐等の腹部症状を発症した。その後、5月19日には胃の部分切除手術が行われた。また、裁判時点でも感覚障害等の後遺症が残っている。

本人は、5月10日夕方に酢豚と餃子を食べ、その夜に激しいおう吐に襲われたと証言した。

検察側は、眞須美が健治に食べさせるために持ち込んだ酢豚や餃子にヒ素を混入させたが、健治がこれをTに分け与えたため、結果的にTが被害を受けたと主張した。

和歌山地裁は、診療記録等からTが急性ヒ素中毒にり患したと認定した。その一方で、眞須美が持ち込んだ可能性の高い酢豚や餃子にヒ素が混入されていた可能性は相当程度あるとしつつも、Tがヒ素を摂取したと推測される時間帯に、それ以外からヒ素を摂取した可能性を排除できないこと、また同じ皿の酢豚や餃子を食べた可能性が高い健治に、急性ヒ素中毒に必発する腹部症状が現れていないことなどから、眞須美が健治に食べさせるために持ち込んだ酢豚や餃子にヒ素が混入されていたと認めるには疑問が残るとして、眞須美の犯人性を認めなかった。

D意識消失事件

知人男性Dは、1992年5月ころ、妻が保険外交員として面識のあった眞須美を通じて健治とも知り合い、その後親しくなった。Dは麻雀好きで健治の麻雀仲間となる一方、賭博や遊興で借金を重ね、資産を切り売りしながら返済を続けるなど、金銭面では極めてルーズであった。1997年11月ころには消費者金融の取立てを避けて自宅にも帰れなくなり、林夫婦が借りてきたアパートに入居し、その保証金や家賃、生活費全般を林夫婦が負担する、いわば丸抱えの状態にあった。また、自営経験があり時間的拘束も比較的少なく、スキンヘッドの風貌で強面に振る舞うこともできたことから、林夫婦にとって対外的な交渉や保険金不正取得の協力に役立つ存在でもあった。

1998年5月2日、Dは林夫婦らとともに病院へ行き、院内の喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ後、頭がぼうっとし、くらくらするようなめまいを覚えた。その後、自ら運転する車内で意識を失って自損事故を起こし病院に搬送された。

さらに同年7月2日にも、Dは眞須美と喫茶店で会ってアイスコーヒーを飲んだ後、同様に意識を失い負傷した。

保険関係では、眞須美によってDに無断で、あるいは十分な理解や関与がないまま、Dを被保険者とする多数の高額な保険契約が締結された極めて不自然な状態に置かれていた。

和歌山地裁は、5月2日の意識消失について、睡眠薬の薬理作用であると認められること、林家に相当数の睡眠薬があったこと、Iにも同種事案が認められること、さらに林夫婦に保険金不正取得の動機があったことなどから、Dが第三者に睡眠薬を摂取させられたと認定した。

その上で、少なくとも林夫婦2人か、そのどちらかによる犯行であるとしたが、具体的な摂取状況は確定できず、眞須美自身の犯行とまでは認定できないとした。

また、7月2日の意識消失については、睡眠薬の薬理作用の可能性はあるものの、医学的証拠が十分でないとして、睡眠薬の摂取によるものとまでは認定できないとした。

大阪高裁も、5月2日の意識消失が睡眠薬の薬理作用によるとした地裁判断を前提に、その評価を維持した。

再審請求

死刑囚となった林は2009年7月22日付で、和歌山地裁に再審を請求した(第1次再審請求)[42][43]。 なお、林は2020年9月27日時点で[17]死刑囚として大阪拘置所収監されている[18]

第1次請求

第1次再審請求は、和歌山地裁(浅見健次郎裁判長)が2017年(平成29年)3月29日付で出した決定により棄却され[44]、これを不服とした林は2017年4月3日までに大阪高裁に即時抗告した[45][46]。しかし、大阪高裁第4刑事部(樋口裕晃裁判長)[47]は2020年(令和2年)3月24日付で死刑囚・林の即時抗告を棄却する決定を出した[48]ため、林はこれを不服として同年4月8日付で最高裁に特別抗告を行った[49]が、後述の第2次再審請求に一本化するため、2021年(令和3年)6月20日付で特別抗告は取り下げられ、第1次再審請求は棄却決定が確定した[50]

第2次請求

一方で第1次請求の特別抗告を取り下げるより前の2021年5月には、林が「事件は第三者による犯行」として和歌山地裁に第2次再審請求を行い、同月31日付で受理された[51]。担当弁護人は生田暉雄[52]、第1次再審請求の弁護人とは別人である[53]。生田は同請求にあたり、「異なる申立ての理由があれば、さらに再審請求できる」と説明していた[52]

申立書では、供述調書の中で示された被害者資料鑑定結果表では、青酸化合物とヒ素の両方が67人の被害者全員の体内に含まれているという鑑定結果[注 20]が出ており、青酸化合物が入っていたのなら、犯行に及んだのは、林死刑囚以外の第三者となり、林は無罪だとしている。生田によれば、林眞須美からの依頼を受け、2020年9月に面会して引き受け、2021年6月までに20回近く面会を重ねたが、林は、「オリンピックが終わると死刑が執行される」と怯えているという[54][55][52][51]

同請求については2023年1月31日付で和歌山地裁から請求棄却の決定が出され、林は同決定を不服として同年2月2日付で大阪高裁へ即時抗告した[56]。大阪高裁は2025年1月27日付で林の即時抗告を棄却する決定を出した[57]。林は同決定を不服として同月29日付で最高裁に特別抗告した[58]。最高裁第2小法廷は同年11月13日付で林の特別抗告を棄却する決定を出した[59]

第3次請求

第2次請求の即時抗告が棄却される前の2024年2月に和歌山地裁に第3次再審請求を行い、受理された。関係者によると、祭り会場にあった紙コップのヒ素と、林死刑囚の自宅で見つかったヒ素が同一だとする鑑定などが誤りだなどと主張する方針という[11][60]

ヒ素と化学鑑定

亜ヒ酸の入手経路と希少性[21][61][25]

事件当時、亜ヒ酸は毒物及び劇物取締法上の毒物に当たり、一般人が通常の方法で容易に入手できるものではなかった。裁判所も、亜ヒ酸は一般の社会生活において極めて希少な物質であると認定している。

再審請求では、和歌山県内の公立高校で保存されていた毒物類や、自治会単位で無料配布されていた殺鼠剤の存在を根拠に、地域内で亜ヒ酸が相当程度流通していた可能性も主張された。しかし裁判所は、公立高校で保存されていた毒物類については、各校とも箱に詰めて封印したうえで鍵付き保管庫に入れて管理され、紛失や盗難はないとされていたことを指摘した。また、自治会で配布されていた殺鼠剤についても、ワルファリン製剤であって、亜ヒ酸そのものではなかったとした。そのため、こうした事情を踏まえても、地域内で本件亜ヒ酸と同種の毒物が容易に入手されたとはいえないとした。

本件では、眞須美の夫健治がかつて「H工芸」として白アリ駆除業[注 6]を営んでいた際に使用していた亜ヒ酸が、緑色ドラム缶やミルク缶など複数の容器に小分けされて保管されていた。裁判所は、これらのうち緑色ドラム缶、ミルク缶A、重記載缶、タッパーA、ミルク缶B及び林家台所流し台下のタッパーB[注 12]付着亜ヒ酸などについて、少なくとも眞須美にとって入手可能な場所に存在していたと認定した。

また、控訴審では、和歌山県内で収集された亜ヒ酸17点、大阪の業者から収集された亜ヒ酸13点、さらに工場製品亜ヒ酸25点などが対照資料として比較対象にされている。そのうえで裁判所は、抽象的に類似亜ヒ酸の存在可能性を完全には否定しないとしつつも、嫌疑亜ヒ酸と組成上の特徴が酷似する亜ヒ酸を、眞須美の支配外の別人が現実に入手、保有し、これを夏祭り会場の東カレー鍋に混入したとみるだけの具体的根拠はないとした。

以上の事情から、裁判所は、本件で問題となる亜ヒ酸は、眞須美が接触可能な場所に保管されていた白アリ駆除業由来でることが、最も具体的かつ現実的な供給源であると位置付けた。

異同識別3鑑定と嫌疑亜ヒ酸[21][61][25]

異同識別3鑑定とは、科警研鑑定、中井鑑定、谷口・早川鑑定を指す。これら複数の鑑定により、以下の資料に含まれる亜ヒ酸は、原料鉱石に由来する微量元素の構成において強い類似性を示すものとされた。すなわち、①緑色ドラム缶内の亜ヒ酸、②ミルク缶A内の亜ヒ酸、③「重」と記載された白色缶内の亜ヒ酸、④タッパーA内の亜ヒ酸、⑤ミルク缶B内の亜ヒ酸、⑥林宅台所で押収されたタッパーB付着の亜ヒ酸、⑦夏祭り会場で回収された青色紙コップ付着の亜ヒ酸であり、これらは総称して嫌疑亜ヒ酸と呼ばれた。    

和歌山地裁は、異同識別3鑑定の結果などを踏まえ、これら嫌疑亜ヒ酸は、原料鉱石由来の微量元素パターンが極めてよく似ており、製造段階において同一であると評価した。また、一部資料にはバリウム[注 10]が共通して検出されることも重視された。他方、再審請求では、弁護側K教授意見書により、「同じ特徴を持つ亜ヒ酸は他に存在しない」といった強い表現や、バリウムの評価には行き過ぎがあるとされ、その限度で証明力の低下が指摘されたが、嫌疑亜ヒ酸相互の原料鉱石由来の微量元素構成が酷似しているという中核部分までは崩れていないとし、眞須美以外の人物が、同じ中国産だけではなく、本件で用いられた亜ヒ酸と同種ないし同一として矛盾しない程度の類似性を有する亜ヒ酸を入手する可能性は相当に低いとした。

異同識別3鑑定に対する弁護側の批判[21][61][62]

異同識別3鑑定に対する弁護側の批判は主に下記の通りである。

【1】科警研の分析は試料を使ってしまう破壊検査であり、特に青色紙コップのようなごく少ない試料では、後から十分な追試をするのが難しいと主張した。これに対し裁判所は、試料は鑑定後にも残っており、その後に中井鑑定や谷口・早川鑑定も実際に行われているので、検証不能とはいえないとした。

【2】資料の収集、保管、移動の過程に問題があり、汚染や取り違えの可能性が残る以上、鑑定書には証拠能力がないと主張した。また、谷口・早川鑑定の補充鑑定書や訂正鑑定書についても、実質的な書き換えではないかと批判した。これに対し裁判所は、資料の移動経路や保管状況は相当程度明らかで、具体的に汚染やすり替わりを疑わせる事情はないとしたうえで、補充、訂正も結論自体を変えたものではなく、より正確な分析のための修正にすぎないとした。

【3】中井鑑定について、報道機関への説明や発言内容からみて中立ではなく、3鑑定も互いに独立して裏付け合っているとはいえないと主張した。これに対し裁判所は、中井教授の発言は誰でも抱き得るごく普通の感情の表明にすぎず、それだけで予断やねつ造を疑うことはできないとした。また、報道対応に軽率さがあったとしても、それによって鑑定書の証拠能力が失われるわけではないとした。

【4】3鑑定が言えるのはせいぜい「同種」や「同じ母集団の可能性」までであり、「同一工場・同一原料・同一工程・同一機会に製造された亜ヒ酸」とまで言うのは飛躍だと主張した。モリブデンを指標から外したことや、バリウムを重く見たことも不合理だとし、再審請求ではユークリッド距離法にも批判を加えた。これに対し裁判所は、原料鉱石や製造工程に由来する微量元素を手掛かりに由来関係をみる手法自体は合理的であり、指標元素の選び方にも不合理はないとした。ユークリッド距離法についても、本件で使う前提自体が不当とはいえず、亜ヒ酸の希少性も踏まえれば解析手法としての有用性は認められるとした。

【5】弁護側は、嫌疑亜ヒ酸からはデンプンやカルシウムなどの混合物が見つかるのに、青色紙コップ付着亜ヒ酸では同じように出ていないので、これは別物ではないかと主張した。さらに、比較に使われた対照資料の数や範囲が限られている以上、「同じ特徴の亜ヒ酸は他にない」とは言えないとも論じた。これに対し裁判所は、混合物は均一に混ざっているとは限らず、外部由来でまだら状に存在する可能性もあるため、それが検出されなかったことだけで別物とは言えないとした。また、対照資料に限界があることは認めつつも、嫌疑亜ヒ酸と組成が酷似した亜ヒ酸を別人が実際に所持し、夏祭りのカレーに入れたとみる具体的根拠はないとした。

【6】弁護側は、これらの問題が積み重なれば異同識別3鑑定全体の信用性は崩れ、そのまま有罪認定全体にも合理的疑いが生じると主張した。これに対し裁判所は、一部の表現や評価には修正の余地があるとしても、それだけで犯人性認定全体が崩れるわけではないと判断した。その上で、原料鉱石に由来する微量元素構成が酷似しているという異同識別3鑑定の核心部分は揺らいでいないとした。

毛髪鑑定[21][61][25]

毛髪中のヒ素は大きく分けて

  • 食事由来の有機ヒ素(主にDMAなど)が内側から取り込まれる場合
  • ヒ素化合物に直接触れ、毛髪表面に無機三価ヒ素(亜ヒ酸)が外部付着する場合

の二つの経路が考えられる。通常の生活では、高濃度の亜ヒ酸が毛髪表面にまとまって付着することはなく、付着量や分布パターンを分析することで、「日常摂取」か「直接の接触」かを推定できるとされた。

眞須美の毛髪の特徴

裁判所は、眞須美毛髪の鑑定結果をおおむね次のように評価している。

  • 眞須美の毛髪からは、通常の健康人ではあり得ない高濃度の亜ヒ酸が検出された。
  • そのうち無機三価ヒ素が毛髪表面に外部付着していることが認められた。
  • ヒ素濃度は毛髪の一部(とくに前頭部付近)に偏って高く、全体に均一ではなかった。

これらの事情から、裁判所は「眞須美が亜ヒ酸を直接取り扱った際に、その粉末や溶液が毛髪に付着した」と推認し、単なる食事由来の摂取だけでは説明困難とした。弁護側は、「対照群の一部にも無機三価ヒ素が検出されている」「健康人でも毛髪中にヒ素は存在し得る」などとして鑑定の信用性を争ったが、裁判所は

  • 対照群に見られる微量の無機ヒ素と比較しても眞須美毛髪中の濃度は異常に高いこと
  • 分布が特定部位に偏在していること

を踏まえ、毛髪鑑定は引き続き「眞須美が亜ヒ酸を扱っていたことを示す有力な状況証拠」であると評価した。

林家長男の主張

林眞須美の長男は、本事件の被告人家族の一人でもある立場から、自著や講演、X、YouTube[63]、映画[64]など各種メディアを通じて事件に関する言説を継続的に発信している。本項では、そうした長男の主張のうち、特に公的記録と関係するものを中心に記述する。

被害者の会副会長Sが眞須美の冤罪を主張しているとの証言[21][61][25]

林家の長男は、2021年公開のインタビュー動画で、「被害者の会副会長Sが、真犯人は林眞須美ではなくXだと言った[65]」、「Xは薬物中毒者で、トリックを使ってカレーにヒ素を混入した[注 21]」と主張している[66]

しかし、Sは報道機関の取材に対し、一貫して林眞須美の有罪判決を前提に発言して2022年のFNNの取材では「(眞須美が)犯人だと思う[67]、2023年の和歌山テレビの取材では「日本司法の最高機関で決まったことを信じる」[68]と述べている。

また、第一審から再審請求に至るまで、Xとされる人物が犯人候補として具体的に取り上げられたことはなく、捜査経過や証人供述にも現れていない。裁判所は、事件当時、法規制されていた亜ヒ酸を保管していたのは、林家関係者に限られると認定しており、近隣住民が同種の亜ヒ酸を所持していた事情は認めていない。以上から、「副会長Sが真犯人はXだと認めた」「Xがヒ素を混入した」とする長男の証言は、裁判記録や被害者側の公的発言と整合していない。

知人男性Iに関する林家長男の主張[25]

林家長男は、自身のX上で、知人男性Iについて、「子どものころに見てきた記憶では、Iは両親と共犯関係にあり、交通事故を装うなどして保険金詐欺に関わっていた」[69]、「鼻からストローで白い粉を吸い、意識が朦朧とした状態でバイクに乗り、電信柱にぶつかった、これらを問いたい[注 22][70]、と主張している。

しかし、第一審から再審請求に至るまで、Iは一貫して林眞須美による殺人未遂の被害者として扱われており、共犯と認定されたことはない。裁判では、Iに対する数回のヒ素使用事件は眞須美の犯行とされ、睡眠薬による意識消失事件についても一部で眞須美の実行、関与が認定されている。また、Iが林家に居候しつつ、健治の指示で名義貸しや入院の長期化に応じ、その見返りとして時おり1万から2万円程度の小遣いを受け取っていたが、保険金詐欺の報酬を受け取った事実は認められていない。

これに対し、長男のいう「鼻からストローで白い粉を吸っていた」「薬物依存のような状態だった」といった話は、I本人、林眞須美、健治、医師、その他の証人供述や診療記録には現れておらず、これを裏付ける物証も示されていない。

長男は、こうした重大な主張をなぜ捜査段階や公判で述べなかったのかと問われると、「大人になってから裁判を振り返った時には判決が出ていたからです」[71]、「話したとしても、調書にかかないだけでしょう」[72]、「法廷でですか?聞かれてもいないのに?」[73]、などと発言している。

以上から、Iを「保険金詐欺の共犯」や「薬物中毒者」と位置付ける林家長男の主張は、第一審以来の裁判記録、医療記録、関係者供述と整合せず、客観的証拠に裏付けられた見解とはいえない。また、裁判で被害者と認定された人物に対し、このような根拠の乏しい違法行為や薬物乱用の疑いを公に述べることは、被害者への二次加害となるおそれがある。

日弁連支援に関する林家長男の説明

本件が日本弁護士連合会が支援する再審事件[注 23]に含まれていない理由について、林家長男は「母が過去に断った」と主張している[74]

ただし、日弁連や関係弁護士会は公式に同旨の理由を示してはいない[75]。日弁連がどの再審事件を支援対象とするかについては、個別事案の選定基準、内部判断も関わるため、公表されていない要素も多く、本件についても「林家側が断ったため支援がない」という主張は、現時点では一方の当事者の説明にとどまる点に留意したい。

林家長男の事件当時の供述

林家長男は、事件当時小学5年生で、第一審公判で証言した時点では中学2年生であった。夏祭り当日の午前から午後1時過ぎまでの行動経過や、母眞須美の服装、ファミコンショップに行った時間帯、ガレージやカレー鍋の周辺に誰がいたかなどについて複数回供述しているが、その内容は捜査段階と公判段階で大きく変遷している。裁判所は、これらの変遷や矛盾を理由に、長男の証言の信用性を厳しく低く評価した。裁判所はまず、「近隣住民が多数倒れ、その後父母が逮捕され、自身も警察、検察、裁判所から繰り返し事情聴取を受けている経過からすれば、長男が事件の重大性を理解していなかったとは考えがたい」と指摘した。そのうえで、そのような状況にありながら、母を有利にする方向に供述内容が変化している点を重視した。具体的には

  • 夏祭り当日にファミコンショップへゲームソフトを買いに行った時刻について、捜査段階と公判証言で「午前だった」「午後だった」と説明が入れ替わったこと。
  • カレー鍋の見張りやガレージへの出入りのタイミングについても、午前、午後の区別や、誰と一緒にいたかの説明が、捜査中証言と裁判中証言の間で食い違い、裁判中でも質問に応じて二転三転していること。
  • 母の服装についても、当初は他の住民の証言と整合する「明るい上衣」という趣旨の説明をしていたのに、公判では「黒っぽいTシャツだった」と変わり、複数の住民が一貫して述べる「白っぽいシャツに黒っぽいズボン姿の眞須美」を否定する方向に変遷したこと。

さらに長男自身、公判で

  • 「その日いきなり呼ばれて長時間取調べを受け、途中で疲れて眠くなり、分からないところは分からんと言おうと思って適当に答えたことがある」
  • 「姉から服装のことなんか適当に言っとけと言われ、自分もその方が母の助けになると思って、服装以外の点でも適当に言った部分がある」

と述べており、自ら供述の一部が「適当に言ったもの」であることを認めている。裁判所はこれらを踏まえ、長男には母を有利にする方向で記憶を作り替えたり、都合よく話を変えたりする動機があるとし「証言の信用性を支える基礎的条件が弱い」とした。そのうえで、捜査段階と公判段階の供述、さらには公判内での説明を対比すると、「事件当日の午前から昼にかけての具体的な行動経過については特定の事実経過を一貫して再現することすら困難といわざるを得ず、近隣住民の一貫した証言とも大きく食い違っている」と指摘された。このため裁判所は、長男の証言を「種々の点で信用性に欠け、近隣住民の供述から認定される事実関係に影響を与えるものではない」とし、ガレージ周辺の状況やカレー鍋への接近状況などの認定は、主として住民らの証言やその他客観的証拠に基づいて行われた[21][61]

その他

  • 林家の長男は、自身のX上で「Wikipediaはデタラメな情報が多く、調べてみると何度も編集されている痕跡がありました」と投稿している。一方で、この投稿において長男は、記事中どの部分が具体的に誤りまたは問題点とみなしているのかについては言及していない
  • 千原ジュニアとの対談で「動機がない、家の金庫に数億円あった」と主張している[76]。しかし、家宅捜索において金庫から数億円の現金は発見されず、保険金の収支、各種ローン、銀行の預貯金などの資料を基に裁判所が詳細に認定した事実によれば、当時の林家は約2,850万円の借入れ超過状態にあった。

事件の陰謀論と未確認情報

本事件は、発生当初から全国的な注目を集めたことや、その後も書籍、映像作品、インターネット上で繰り返し取り上げられてきたことから、さまざまな陰謀論、未確認情報が広まり続けている。これらは確定判決の事実認定とは別個に提示されてきた見解であり、本項では、社会的に知られているおもな説や論点を中心に、その内容を整理する。

飼い犬毒殺事件・少年A犯人説[21][61][25]

インターネット上では、事件前に園部地区で犬や猫の毒殺が相次いでおり、その犯人とされた「少年A」がカレー事件の真犯人であるとする説が流布している。この説では、林家長男が自著やインタビューで紹介したとされる、事件翌日に健治が「あの犬を殺ったヤツが犯人やな」と話していたという回想や、近隣住民が「この辺の飼い犬が何十匹も毒殺された」「林家裏の畑に毒がまかれ、1年間使えなくなった」と語っていたとするエピソードが、根拠としてしばしば挙げられる[77]

しかし、これらの話は、当時の裁判から再審請求に至るまで一切扱われていない。弁護側も、異同識別鑑定、毛髪鑑定、犯行機会などを中心に争っており、飼い犬毒殺犯ないし「少年A」を具体的な真犯人として主張していない。

また、この説の前提とされる毒物関係事件自体にも留意が必要である。仮に、園部地区で何十匹もの犬猫が毒殺され、さらに畑に毒物がまかれて長期間使えなくなるような事件が実際に起きていたのであれば、その規模からして、警察や保健所への相談、新聞報道など何らかの公的、社会的記録が残るのが通常であるが、それらは一切確認されていない。

さらに、この説は、裁判で認定された亜ヒ酸の所在と犯行機会とも整合しない。警察の捜査で事件当時の園部地区周辺において亜ヒ酸と具体的に結び付けられたのは林家関係先だけである。林家と無関係の第三者、ことに「少年A」のような人物が、当時すでに希少であった亜ヒ酸を独自に入手、保管していたことを示す根拠は確認できない。加えて、犯行機会についても、亜ヒ酸が混入されたのは林眞須美が鍋の見張りをしていた午後0時20分ころから午後1時ころまでの間である蓋然性が極めて高いとされ、眞須美以外の者に犯行機会があったとする主張は再審請求を含めて全て否定されている。したがって、証拠構造上、「少年A」が毒物を入れたとする構成は成り立たない。このため、「飼い犬毒殺事件・少年A犯人説」は、後年に語られた風説や回想に依拠する性格が強く、公的な裏付けが確認できない。

真犯人が「林真須美になすりつけた」とする説

カレー事件以前に亜ヒ酸により繰り返してい実行していた保険金詐欺、殺人未遂は、事件後の捜査過程で初めて明らかになったものである。当時の地域住民、ならびに被害者らですらその事実を知らなかった。したがって、真犯人が「眞須美がヒ素を使っていること」を前提に犯行手段として入手困難な亜ヒ酸を選び、眞須美に嫌疑をなすりつけたとする説は、その前提自体を欠き、現実性に乏しいといえる。

長女・次女真犯人説

同様に、被害者ですら亜ヒ酸を摂取させられていることを知らなかったのであり、長女・次女のような子どもが亜ヒ酸の隠し場所を把握していたことを示す証拠はない。したがって、長女・次女が亜ヒ酸を持ち出して犯行に用いたとする説は成り立たない。

台所のヒ素付着タッパー捏造説[21][61][25]

林宅台所で押収されたタッパーについて

  • 家宅捜索の4日目に突然見つかったのは不自然である
  • 指紋も付いておらず、警察が後から持ち込んだ捏造証拠である

とする主張が流布している。しかし、刑事裁判の判決が認定した経過は、これとは異なる。

  • 10月4日から12日まで林宅の家宅捜索が続き、台所の検証が始まったのは捜査3日目である。当日午後に台所シンク下からタッパーが発見され、4日目には他容器同様に押収手続きに回された。
  • 事件直後から林真須美の周辺では多数のマスコミが連日取材をしており、自身が投棄などで処分するのは困難な状況だった。
  • タッパーは肉眼ではヒ素が確認できないほど洗い流されていた上に、他の入れ物などに紛れさせて置いてあり、可能な限り証拠隠滅が施されていた。(林宅の排水管や会所からもヒ素が検出されている)
  • 押収されたタッパーはビニール袋で封かんされて警察署内で保管された後、鑑識に回され、外側からの指紋検出作業が行われた。内部については付着物を保護するためラップ等で覆った状態で保管され、その後、科学捜査研究所、科学警察研究所へ順次送致されている。押収から鑑定に至るまでの経過は、証拠品管理簿や鑑定嘱託書、回答書等で具体的にたどることができ、途中で新たにヒ素を付着させるような操作が行われたことをうかがわせる事情は認められていない。

指紋についても、「まったく付いていなかった」のではなく、タッパー側面などからは指紋らしき痕跡が検出されたが、形状が不鮮明で個人識別に利用できる水準ではなかったとされている。再審請求手続においては、弁護側が新たな検分結果をもとに

  • タッパー外面には砂などが付着しており、屋外で使用されていた形跡がある
  • そのような容器が「台所流し台下」から発見されたのは不自然である

といった点を指摘した。これに対し裁判所は

  • タッパーが過去に屋外でも使用されていたことがうかがえるとしても、その後に屋内収納へ移されていた可能性は十分にあり、それだけで押収経過全体の信用性を否定することはできないこと
  • 押収から保管・鑑定に至る手続は記録上具体的に追うことができ、「警察が後日、外部から持ち込んで証拠化した」とみるべき事情は見当たらないこと

を理由に、捏造を示す事情とは認めなかった。こうした裁判記録に照らすと、「家宅捜索の4日目に突然ヒ素が付着したタッパーが出現したのは、警察、鑑識、検察による捏造である」とする説は、裁判所が認定する事実関係とは整合しない。

林家の経済状況[21][61]

各所では、「林眞須美、健治夫妻は高額の保険金で十分に裕福であり、巨額の収入があったのだから、リスクを犯してまで無差別大量殺人を行う動機はない」とする見解がしばしば示される。しかし、刑事裁判の判決が認定した生活実態や資金繰りは、これとは大きく異なる。

林夫妻は1980年代後半以降、眞須美は親族や知人を被保険者とする多数の生命保険・損害保険を契約し、その一部では実際に死亡保険金や高度障害保険金を受領していた。例えば、健治の急性ヒ素中毒に関連する高度障害保険金、眞須美の母の死亡保険金などから、長期的には数億円規模の保険金収入があったと認定された。

一方で、これらの保険金収入が安定した資産形成には結び付かず、短期間のうちに生活費、遊興費、高額な買い物などに費消されていたことも詳細に認定している。林夫妻は多数の保険契約を維持するために毎月多額の保険料を支払い続けており、その合計は月数十万円規模に達していた。さらに、自宅の住宅ローンや各種ローンの返済、複数の消費者金融・信販会社からの借入、高額な貴金属、衣料品や自動車、家電の購入に加え、約6,300万円のリゾートマンション購入契約(うち約5,730万円の残代金支払義務)などの負担が重なっていたとされる。

その結果、カレー事件後まもない1998年(平成10年)8月末時点で、林夫妻名義の銀行預金残高は約4,850万円であったのに対し、銀行ローン等の借入残高は約7,700万円に達しており、裁判所はこの時点で約2,850万円の借入れ超過状態にあったことを明示している。これに、将来支払うべきリゾートマンション残代金約5,730万円などの大口支払義務を加味すると、実質的な資金繰りはさらに厳しかったと評価される。

このように、裁判所が客観的資料に基づき認定した経済状況は、「保険金で裕福であり、リスクの高い犯罪に出る余地はなかった」というイメージとは異なる。実際には、多数の保険契約による高額な月々の保険料負担と、多数のローン、浪費、投機的支出によって家計は逼迫しており、事件当時には既に借入れ超過に陥っていた。

  • なお、林家長男は、2024年千原ジュニアとの対談で、「動機がない、家に帰ると金庫には数億円があった[78]」と主張しているが、上記の通り裁判記録と整合していない。

冤罪疑惑

本事件の最たる特徴としては、被告人・林眞須美による犯行動機が明確になっておらず、直接的な証拠も存在しないという点が挙げられる。有識者からは冤罪疑惑を指摘され、長らく問題視されている。一方で本事件は、日弁連が支援している再審事件に含まれていない[75]

動機が未解明であること

※動機がないのではなく、眞須美本人が犯行を否定している為に未解明であることに留意。

  • 「批判を承知であえて言えば、本人が容疑否認し、確たる証拠はない。そして動機もない(※)。このような状況で死刑判決が確定してよいのだろうか?」(田原総一朗[79]
  • 「私のわだかまりも、この『状況証拠のみ』と『動機未解明』の2点にある。事件に、林被告宅にあったヒ素が使われたことは間違いない。ただし、そのヒ素に足があったわけではあるまいし、勝手にカレー鍋に飛び込むわけがない。だれかが林被告宅のヒ素をカレー鍋まで持って行ったことは確かなのだ。だが、果たしてそれは本当に林被告なのか、どうしたって、わだかまりが残るのだ。」(大谷昭宏[80]
  • 「動機未解明で有罪にすること自体はありえますが、動機というのは非常に有力な状況証拠です。動機がないなら証拠が一部欠けているということなので、他の証拠はそのぶんしっかりしてないといけません。しかし、他の証拠をみても、自白はなく、鑑定に問題はあり、原則禁じられた類似事実[注 24]による立証をやっている。本件の場合は動機がないなら、全体的な証拠構造が問題です」、「人は普通、動機がないと人を殺しません。しかもこの事件の場合、犯人が誰を殺そうとしたのかもわからない。動機がないと真相がわからない事案だけに、余計に、動機なしでいいのかな、と思いますね」(白取祐司[81]
  • 「動機なし(※)、自白なし、物証なし。」、「現代の魔女狩り」と指摘している(宮台真司[82]。ただし、亜ヒ酸、容器、カレー、自宅の配管、ヒ素が付着した眞須美の毛髪など、多数の物的証拠が存在する。
  • 大阪高裁は動機について、「経緯にかんがみると、ガレージ内で他の主婦から疎外され、氷の件で近隣を回らされるなどしたことに対する腹立ち紛れから犯行に及んだと見るのが最も自然であるが、被告人が真実を語ろうとしない状況において、そのように断定することまでは困難である」とした上で「本件全証拠を精査しても、被告人の行為を多少なりとも正当化し得る事情はうかがえないのであって、少なくとも、被告人が、およそ人を殺傷する理由とはならない理不尽で身勝手な動機目的のために上記犯行に及んだことは確かである」と判示した[61]

黙秘権について

  • 「2審判決は『(関係証拠とも一致せず)誠実に事実を語ったことなど1度もなかったはずの被告人が、突然真相を吐露し始めたなどとは到底考えられない(状況にある)』と言ったが、これは実質的に黙秘権侵害です」(小田幸児:林の1審、2審、上告審弁護人)[81]

カレー鍋へのヒ素混入の機会

カレー鍋にいつ、誰がヒ素を入れ得たかについて、捜査当局は住民らの供述をもとに、1998年7月25日の動きを分単位で再現し、鍋の近くに誰がいたか、ふたが開けられ得た時間帯をタイムテーブル化した。その結果、ヒ素が検出されたのは東側のカレー鍋のみであり、この東鍋については、林眞須美がガレージ付近で見張り番として一人になる時間帯があったことが認定されている。この時間帯には、他の班長や住民はガレージから去っており、眞須美だけがガレージ内の鍋のそばにいたとし、裁判所は「東鍋へのヒ素混入が行われたのは、この時間帯である蓋然性が高い」とした。

一方、夏祭り当日は「午後からは班長らが1時間交代で鍋を見張る」という自治会内の取り決めがあり、眞須美以外にも3人の住民(A〜C)が単独で鍋番をしていた時間帯が存在したことも事実として認定されている。しかし、これらの住民やその家族は実際にカレーを食べて中毒被害を受けており、亜ヒ酸との接点をうかがわせる事情も捜査上見いだされていない。また、彼らの見張っていた時間の多くは、いつ他の住民や次の当番が来るか分からない短時間であり、落ち着いて毒物を取り出し、鍋のふたを開けて混入するには現実性が低いとした。

また、その他の時間帯は常に複数人が鍋の近くにおり、不審な人物が鍋に接近したという供述もないことから、裁判所は、ヒ素の入手可能性と時間的機会の双方を総合し、「現実的に東鍋にヒ素を混入し得た機会があった人物は、林眞須美にほぼ限定される」と認定した[21]

住民Fによる目撃証言

住民Fは、夏祭り当日の正午前後、自宅二階の両親寝室のベッド付近の位置から千葉方ガレージ内を見下ろし、カレー鍋付近にいた林眞須美の様子を目撃した。また、住民Fは「白っぽいシャツに黒っぽいズボンをはき、首にタオルをかけた眞須美が、道路の方を何度も気にしながら、調理済みカレーの入った鍋のふたを開けていた」を見たと供述し、捜査、公判段階に複数枚の絵を描いてその状況を説明した。

 この証言については、「最初は一階リビングから見たと供述していたのに、のちに二階寝室からの目撃に変わったのは不自然だ」との弁護側の批判があった。

これに対し、裁判所は、住民Fが当初の「一階から見た」という自分の認識に疑問を持ち、「鍋の下のコンロが見えたかどうか」「湯気の上がり方」「眞須美の首や肩の見え方」「赤いゴミ箱の位置」など、目撃時の具体的な景色と実際の見え方を一つ一つ照らし合わせる中で、「二階の両親寝室から見たと考えるのが自然だ」と修正に至った経過を詳細に認定した。

 平成10年12月12日に住民F宅で実施された検証では、二階寝室南側の掃き出し窓から見たガレージの状況を図面化した「図10」と、住民Fが「一人でいる眞須美が鍋を見ている様子」を描いた「図11」とがよく符合していることが確認され、裁判所は「目撃時のガレージの状況に関する記憶が具体的かつ明確であり、その疑問の持ち方も合理的である」として、住民F証言の信用性は高いと評価した。

 また、弁護側は「住民Fが見たのは、母親に体格が似た次女である可能性がある」と主張したが、判決は、住民Fが林宅のごく近所に住んでおり、当日も眞須美と次女が一緒にいる場面を目撃していたことから識別能力は十分であること、証拠上この時間帯に次女がガレージに一人でいた事実は認められないことを指摘し、「住民Fが目撃した人物は眞須美である」と明確に認定している。さらに、「住民F自身には二階に上がった記憶がない」との点についても、裁判所は、住民Fが両親寝室に上がることは日常的であり、事件当日の午前中も二階で過ごしていたことから、「二階に上がったという行為自体の記憶の欠如は、目撃内容の信用性に影響しない」として、証言全体の信用性を維持している[21]

住民Fによる目撃証言が不可能であるという説

  • 犯行時刻に眞須美が1人で当たりを見渡しながら鍋を開けていた、という自宅2階からの目撃証言は当時は庭の木が生い茂っていた、死角が多く不可能であるという主張がある。しかし、これらは、平成10年12月12日実施の検証の際に警察官らが2階から視認が可能であるのを確認していること、裁判中、再審請求において眞須美側によって主張されていない説であることに留意したい。

林家次女の証言

林眞須美の次女は「夏祭り当日は一日中ほぼ母と一緒におり、母が一人で鍋のそばにいた時間はない」と供述し、眞須美には単独での混入機会はなかったと主張した。また、鍋のふたを開けた人物についても「それは自分だった」とする趣旨の話をしている。

裁判所はまず、次女が眞須美の実娘であり、母の無罪を願う強い動機を持つことから「供述の信用性を支える基礎条件が弱い」と位置づけたうえで、捜査段階の供述との変遷や、具体的事実との矛盾を丁寧に検討している。争点となったのは、ガレージ内で鍋のふたを開けていた人物の同一性である。住民Fは、「白っぽいシャツに黒っぽいズボンをはき、首にタオルをかけた眞須美が、道路の方を何度も気にしながら、調理済みカレーの入った鍋のふたを開けていた」と供述した。

これに対し弁護側は、「服装や体格からすれば、その人物は次女だった可能性がある」「開けていたのはヒ素の入っていない西鍋だった」と主張した。しかし裁判所は

  • 住民A・住民G・住民Fのいずれもが「眞須美は白っぽいシャツと黒っぽいズボンだった」と供述し、これに明確に反する証言者はいないこと
  • これに対し次女は「母は夏に太って見える白い服は着ない」「自分は毎日のように首からタオルをかけていたが、母はしていなかったと思う」と述べ、自分の当時の服装や癖を母のものに上書きする形になっていること

などを踏まえ、「次女は、住民Fが見た人物を自分であったと見せかけるため、母の服装やタオルの有無について虚偽の供述をしている」と評価した。

さらに次女は、「調理から数十分後のカレー鍋に指を入れて味見をした」と供述したが、同日と同条件で行われた実験では、1時間後でもカレーの温度は約6℃程度しか下がっておらず、素手で指を入れて味見できるほど冷めていなかったことが確認されている。眞須美は「自宅で素麺を茹でていた際、次女が電話で友人とクラブ活動の話をしていた」と述べたものの、該当の電話の通話時間は約11秒に過ぎず、雑談的な会話をするのは現実的ではないことが通信記録から判明している。

また、住民Aに言われて氷のことを聞いて回ったとする10分間で、健治と会話したり、素麺をゆで始めて子供らが完食後に庭で遊んでいたのを見たりする供述は物理的に不可能であり、それぞれの供述と辻褄が合わないことも裁判所に指摘された。これらの客観記録や実験結果との矛盾に加え、次女自身が「捜査段階では母をかばうために嘘をついた」と供述していることも踏まえ、裁判所は「次女の供述は、眞須美が鍋のふたを開けていたという住民Fの証言を打ち消すために後から作られたものであり、全く信用できない」と評価した[21]

  • なお、MBSニュースなどの事件当時の取材映像では、「夏でも白い上衣を着ている眞須美」を確認できる[83][84]

健治への誘導尋問問題、司法取引疑惑

  • 林死刑囚の夫・林健治によれば、逮捕された際捜査員より「眞須美はオトせない!頼むから眞須美にヒ素を飲まされたと書いてくれ!書いてくれたらあんたを八王子の医療刑務所に入れるようにしてやる」と言われたという[85]。これは現在では司法取引に該当するが、当時は違法である。しかし、これらは健治、眞須美および、弁護人が裁判中に一度も主張していない証言であることに留意したい[21][61]
  • 上記の「司法取引」に関しては、2020年10月27日に公開されたYouTube動画でも林健治自身が詳しく語っている。健治の証言によると、逮捕から約1週間後、19時ごろに検察庁から小寺検事と事務官2名が健治の拘留されている警察署を訪れた。 健治が「確たる証拠証人もなく、ワシも口割ってないのに、なぜ逮捕し勾留しているのか」と質問したのに対し、小寺は「アホ、こんだけ世間を騒がしてマスコミが騒いで、パクッて今さら、間違えましたではすまんやろ」と返答したため、健治が「死刑事案なのに、想像でパクッてしまうんか?」と質したところ「いや、今からそのストーリーをワシが考えてやる」、「しかし、証拠がないから困っている」と言い、健治に対して、眞須美にヒ素を飲まされて殺されかかった被害者として初公判の場では「私、今でこそ眞須美が憎くて仕方ない。どうぞ、この女を死刑にしてやってくれ」と述べて泣けと言ったという。 さらに、小寺は健治の事件の公判も担当することから、「求刑も自分が出すので塩梅してやる。ワシに乗れ。ワシに乗ったらお前は身体が不自由だから、エエとこに放り込んでやる」などと言い、また八王子の医療刑務所のパンフレットを健治に見せたが、そこにはMRIなど最新鋭の医療機器が写っていたという。さらに、今、八王子には角川春樹が収監されているので、彼に本を書いてもらえと言った。小寺は「この事件でワシを出世させてくれ」「ワシもお前と同じで4人子供がいる。よい正月を迎えさせてくれ」と事務官2人とともに健治に土下座までしたという。 さらに「お前がどうしても口を割らないのなら、眞須美にひとこと言わせてやる。"私は元日本生命の外交員です。あの日昼頃帰って、主人が何か紙コップに入った薬品のようなものを私に渡して、これカレーの中に入れたら隠し味になって美味しいんで持っていって入れてこいというので、何かわからずに入れました。ヒ素は主人から預かっていたもので、私は知りません。主人の言うままにやっただけです"-これひとこと、眞須美にしゃべられたら、一生お前の人生は裁判になってしまうぞ!」と恫喝したというが、これに健治が応じなかったため、小寺は手を上げたという。なお、健治も眞須美も検察の供述調書には1枚もサインをしなかった[86]
  • ノンフィクションライターの片岡健も2021年5月28日に公開されたYouTube動画で、上記の健治の主張を裏づけるような話をしている。片岡によると、健治以外の者たちの何人かは警察によって山奥の警察官官舎に3、4か月隔離されるなどしており、このことは、林の死刑判決でも認定されているという[87]。一方で、警察勤務の父を持つ知人男性らが、マスコミの異常な取材攻勢から身を守るために依頼しており、その他いっさいの利益誘導も取引もなかったことも認定されている[88]

本件の科捜研主任研究員が別事件で証拠の捏造をしていたこと

本事件の初期捜査において青酸化合物と誤判定[注 20]した和歌山県警科捜研主任研究員が、他の事件で証拠を捏造したとして証拠捏造、有印公文書偽造および行使容疑で2012年に書類送検されたことが判明した。しかし、捜査関係者によれば、研究員が携わったカレー事件での捏造はなかったと結論づけている[89]

検察官の発言

障害者郵便制度悪用事件での捜査の際、当時検察官だった國井弘樹村木厚子(後冤罪が確定)本事件を例に挙げ「あの事件だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」と発言している[90]

事件の影響

林の家族

林夫婦には4人の子供がいたが、事件当時はマスメディアが24時間自宅を取り囲み、子供らは外出ができなくなり、通学もできなかった。当時中学3年生で高校受験を控えた長女が残した当時のノートには、「ポスト、誰かのぞく」「家の中みてる。じ~っと」など、家を取り囲むマスコミの姿が描かれていた。長男は、長女の中にはこのころの記憶が鮮明に残っており、恐怖心として残り、自殺につながったのではないかと推測している[91][92]

両親の逮捕後、子供らは児童養護施設に預けられるが、「カエルの子はカエル」と言われ、壮絶ないじめを受けた。長女は、他の3人の子供が警察に事情聴取に呼ばれた際には「分からないことは分からないと言いなさい」と諭すなど、母親代わりとなり、兄妹の面倒を見た。事件の7年後、長女は21歳で結婚し娘を出産。その4年後、最高裁で母・眞須美の死刑が確定。長女は境遇を隠すため、母や長男とはいっさい関係を断つよう、家族に告げたという。長女は名前を変え周囲には素性を隠して暮らし始めた。しかし、8年後には離婚。娘の親権は夫に渡る。その理由は、夫には両親がいることだった。このため長女は長く娘には会えなかった。長女が事件にとらわれる姿を離婚後に交際した男性が記憶しており、その男性の証言では、事件のことがいつ流れるかもしれないため、長女は部屋にテレビがあってもつけない。「見ていい?」と男性が聞くといつも音楽をかけていた。顔を撮られることを恐れ、男性の手元には後姿の画像しか残されていなかったという[91][92]

子供らの中では、長男だけが唯一、無実を訴える母・眞須美と面会を続けてきた。長男も職場や友人には身分を隠しており、そのことによる罪悪感を抱きながら生きているが、長女も自分を偽って暮らしていく中で、自分のついている嘘に飲み込まれる感じがあり、虚しさみたいなものがあっただろうと推測している。長女は2015年に再婚。新たに娘を出産。また2018年より前夫との娘とも同居していた。

林眞須美死刑囚の長女による虐待死と無理心中事件

2021年6月9日、和歌山市加納のアパートで、林眞須美死刑囚の長女Rと前夫との間の娘である娘T(16歳)が倒れているのが発見され、全身打撲による外傷性ショックで死亡が確認された。同居していたのは、母親であるR、その再婚相手である夫K(当時41歳)および林家長女Rと夫Kの間の幼児Cであった。

娘Tは2018年頃からR宅で同居を開始したが、その後欠席・遅刻が急増し、最終的には配布物受け取りなどを除いてほとんど登校しなくなった。公判で検察は、林家長女Rが娘Tに対し、家事や幼児Cの世話を事実上一日中強要して学校に行かせず、「ペンチでの抜歯」「カッターナイフでの切りつけ」「顔面や頭部の踏みつけ」「棒やアイロンによる打撲、熱傷」など、長期にわたる凄惨な身体的、精神的虐待を繰り返していたと主張した。スマートフォンのLINEには、外出中にテレビ電話機能で5時間以上家事の様子を監視していた記録や、「殺すぞ」「しばくぞ」といった林家長女Rからのメッセージと、それに従う娘Tの返信が残されていたほか、「台所の戸棚には抜かれたTの歯が2本、見せしめのようにテープで貼り付けられていた」とされる。

2021年6月上旬には、Tはほとんど食事をとれず、おむつを着用しなければならないほど衰弱していたにもかかわらず、林家長女Rは6月7日にも洗濯物干しなどの家事を命じ、サボっていると決めつけて背後から蹴倒し、倒れた頭部を2回踏みつけたとされた。翌9日、夫Kが林家長女Rとともに幼稚園児Cの迎えから戻ると、林家長女Rは「娘Tが息をしていない」と告げ、夫Kが室内で倒れている娘Tを発見して救急車を呼んだが、搬送先の病院で死亡が確認された。

一方、林家長女Rは病院には姿を見せず、夫Kにテレビ電話で「関空の橋から飛び降りる」と告げ、「⚪︎⚪︎ちゃん(夫Kの愛称)、ごめん、もう死ぬわ。好きに生きなよ」と言い残して通話を終了した。その後、林家長女Rは幼稚園児Cを連れて関西国際空港連絡橋から飛び降り死亡し、幼児Cを道連れにした殺人容疑で書類送検された。警察は、適切な医療を受けさせなかったことが娘Tの死亡の直接原因となったと判断し、同居していた養父である夫Kを保護責任者遺棄致死容疑で逮捕、起訴した。

和歌山地方裁判所の裁判員裁判では、虐待と医療不受診により娘Tが死亡した事実関係に争いはなく、量刑が主な争点とされた。検察は、虐待の主導者は林家長女Rであるものの、夫Kにも保護者として病院受診を実現すべき義務があったのに、Rの拒否を理由にそれを怠り死亡に至らせた責任は重いと主張した。

夫Kは、林家長女Rから自らも殴打や電気コードによる首絞めなどの暴力を受け支配されていたこと、娘Tを病院に連れて行くよう繰り返し求めたが林家長女Rに拒否され続けたことを供述したうえで、林家長女Rが病院受診を拒んだ理由として、「病院に行ったら自分の虐待が発覚する」「カレー事件の時のように、何もしていなくても厳しい取り調べを受けるのが嫌だ」と語っていたと証言した。

2023年3月15日、和歌山地裁は、娘Tは適切な医療を受けていれば命が助かった可能性が高いこと、夫Kには保護者として医療機関に連れて行く義務があったにもかかわらず、それを怠って死亡させた点を重く評価しつつ、虐待の主導者が既に死亡した林家長女Rであったことや、夫Kが林家長女Rからの暴力・支配下にあった事情も考慮し、夫Kに対し保護責任者遺棄致死罪で懲役6年の実刑判決を言い渡した。[92][93][94]

長女は、亡くなった2021年現在、長男とは10年以上も連絡を取っていなかった。長女の死は、長男によって眞須美に伝えられたが、眞須美は「この中にいて何もすることができず、守ってあげられなくて悔しい」と何度も言ったという。インターネット上には、2021年現在も家族への誹謗中傷が溢れているとされている[91]

カレーライスのイメージ悪化

和歌山毒物カレー事件では、報道で「毒入りカレー」の文字が前面に出ていたためカレーライスのイメージが悪化し、食品会社はカレーのCMを自粛。料理番組でもカレーライスのレシピ紹介を取りやめた。また、テレビアニメ『たこやきマントマン』と『浦安鉄筋家族』では、ストーリーにカレーライスが出る回が放送されなかった[注 25]。そして、日本ではちょうど夏祭りが各地で開催される時期だったことから、事件後は各地の夏祭りで食事の提供が自粛されるなどの騒動に発展した。

この他、前述の犠牲者である小学4年生の男子児童は事件当時、和歌山市立有功小学校に通学していたが[95]、同小学校では事件発生から25年が経った2023年時点でも、学校給食の献立でカレーライスが出されていない[注 26][19]

模倣犯の出現

和歌山毒物カレー事件の後、飲食物に毒物を混入させるといった模倣犯が日本では多数現れた。中でもアジ化ナトリウムは混入が相次ぎ、1999年にはアジ化ナトリウムの管理を徹底させるべく、日本においてアジ化ナトリウムは毒物に指定され、毒物及び劇物取締法による流通規制が行われるに至った。

林が提起した訴訟

概要 最高裁判所判例, 事件名 ...
最高裁判所判例
事件名 損害賠償請求事件
事件番号 平成15(受)281
2005年(平成17年)11月10日
判例集 民集 第59巻9号2428頁
裁判要旨

1 人はみだりに自己の容ぼう,姿態を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有し,ある者の容ぼう,姿態をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは,被撮影者の社会的地位,撮影された被撮影者の活動内容,撮影の場所,撮影の目的,撮影の態様,撮影の必要性等を総合考慮して,被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍すべき限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。
2 写真週刊誌のカメラマンが,刑事事件の被疑者の動静を報道する目的で,勾留理由開示手続が行われた法廷において同人の容ぼう,姿態をその承諾なく撮影した行為は,手錠をされ,腰縄を付けられた状態の同人の容ぼう,姿態を,裁判所の許可を受けることなく隠し撮りしたものであることなど判示の事情の下においては,不法行為法上違法である。
3 人は自己の容ぼう,姿態を描写したイラスト画についてみだりに公表されない人格的利益を有するが,上記イラスト画を公表する行為が社会生活上受忍の限度を超えて不法行為法上違法と評価されるか否かの判断に当たっては,イラスト画はその描写に作者の主観や技術を反映するものであり,公表された場合も,これを前提とした受け取り方をされるという特質が参酌されなければならない。
4 刑事事件の被告人について,法廷において訴訟関係人から資料を見せられている状態及び手振りを交えて話しているような状態の容ぼう,姿態を描いたイラスト画を写真週刊誌に掲載して公表した行為は,不法行為法上違法であるとはいえない。

5 刑事事件の被告人について,法廷において手錠,腰縄により身体の拘束を受けている状態の容ぼう,姿態を描いたイラスト画を写真週刊誌に掲載して公表した行為は,不法行為法上違法である。
第一小法廷
裁判長 島田仁郎
陪席裁判官 横尾和子甲斐中辰夫泉徳治才口千晴
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
民法709条,民法710条,憲法13条,刑訴規則215条
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カレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟

林眞須美は、本事件後に多数の訴訟を起こしたことで知られる。

その中で「カレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟」では、取材対象に無断で撮影した写真や、無断で描画したイラストを報道した時に、肖像権侵害となるのはどういった場合なのかについて、日本の最高裁判所として初めて基準を示すに至った[97]。この中で最高裁は、撮影や描画された人物の社会的地位、活動内容を鑑みて、撮影や描画を行った場所、目的、さらに、撮影や描画をどのように行ったか、そもそも撮影や描画の必要性があったかを総合し、撮影や描画された側の人物が社会生活上の我慢の限度を超えるかどうかで判断すべきとし、林眞須美の写真や一部のイラストについて違法と判断した[97]

その他の訴訟

林は、前述のカレー毒物混入事件法廷写真・イラスト訴訟以外にも、例えば2012年に再審請求中の林は、事件の裁判において虚偽の証言をしたとして、100万円の損害賠償を求めて夫を提訴した。

また、週刊朝日の調べにより、マスメディア関係者や事件の発生地の地元住民、生命保険会社に勤務していたときの同僚など、計50人ほどを相手に訴訟を起こしていることが判明。しかし、弁護士も立てていないため訴訟の遂行は難しいという。

かつてメディアを相手に500件以上の訴訟を起こしたロス疑惑三浦和義は生前、林を支援しており、林に対しマスメディアを訴えることを勧め、手紙や面会で方法を伝授していた。これに対し林も「三浦の兄やん、民事で訴えちゃるって、ええこと教えてくれた」と答えた[98]

2017年3月、和歌山地裁は第1次再審請求を棄却したが、弁護団は即時抗告するとともに、有罪を根拠づけたヒ素鑑定を行った東京理科大学教授の中井泉らを相手取り、6,500万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起した[99]

その他

  • 障害者郵便制度悪用事件村木厚子を取調べ中に、担当検察官である國井弘樹は村木に向かい「あの事件だって、本当に彼女がやったのか、実際のところは分からないですよね」といい、否認を続けることで冤罪で罪が重くなることを暗示し、自白を迫った[90]
  • 逮捕前、自宅を取り囲む報道関係者たちに笑いながらホースで放水している姿を撮った映像が繰り返し使用され、ふてぶてしい印象づけがメディアによりなされたが、これについてのちに夫は、報道が過熱し夜中中取り囲まれたが、彼らが蚊に刺されないよう殺虫剤を持って行ったりしたにもかかわらず、郵便受けから郵便を抜き取ったり、塀にはしごをかけ2階の子供部屋を盗撮したりされたため、眞須美に「あいつらのぼせ上ってるから、記者会見する言うて集めて、上からいっぺん頭冷やしたれ」と命令したとしたうえで、「いかにもカレーに毒入れそうなおばはんの『絵』」にされたと語っている[100]
  • フジテレビニュースJAPAN』で、キャスターの安藤優子が事件の注目人物であった逮捕前の林に電話インタビューを試みている。逮捕前だったこともあり、注目人物であった林の名前を自主規制音を被せて匿名化していたが、編集ミスで1か所だけ自主規制音が入っていなかったため、その部分だけ「林さんは…」という言葉がのって放送されてしまった。そのため、林から「おかげで外に買い物にも行けない。どうしてくれるのか?」と、猛抗議を受けた。
  • 林夫婦が住んでいた家(木造2階建て住宅・約180)は2人の逮捕後、無人となり、壁などに落書きされたり、無断で敷地内に侵入したりする者が相次いでいたため、和歌山東警察署パトロールを継続していたが[101]、2000年(平成12年)2月16日未明に放火され、全焼した[注 27][102]。そのニュースを聞かされた獄中の林は「ああ、そう」と答えた。林の自宅はその後解体され[107]、土地(約360㎡)は競売に出された結果、2004年春に地元自治会が住民からの寄付を募って、380万円で買い取った[108]。そして、住民たちの協議により、花壇として整備された[注 28][110]

関連書籍

  • 週刊文春特別取材班『林真須美の謎 ヒ素カレー・高額保険金詐取事件を追って』ネスコ、1998年12月。ISBN 978-4890369935
  • 三好万季『四人はなぜ死んだのか インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」』文藝春秋、1999年7月。ISBN 978-4163554303
  • 林眞須美『死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら 林眞須美 家族との書簡集』講談社、2006年8月。ISBN 978-40621351392025年9月、電子書籍化。
  • 今西憲之「和歌山カレー毒物混入事件 林真須美被告の夫・健治氏 独占告白10時間「私たち夫婦は保険金詐欺のプロ。金にならんことはやらん。真犯人は別」」『週刊朝日』第111巻第56号、朝日新聞社出版部、2006年11月3日、36-39頁、NAID 40007455802 - 2006年11月3日号・通号4782。
  • 林眞須美、林健治(林眞須美の夫)、篠田博之(月刊『創』編集長)『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』創出版、2014年7月15日。ISBN 978-4904795316 - 林夫妻と本事件を取材し続けている篠田らによる共著書。
  • 帚木蓬生『悲素』新潮社、2015年7月。ISBN 978-4103314226 - 事件に関わった実在の医師の記録に基づく小説。
  • 田中ひかる『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』ビジネス社、2018年7月。ISBN 978-4828420370
  • 和歌山カレー事件 林眞須美死刑囚長男『もう逃げない。〜いままで黙っていた「家族」のこと〜』ビジネス社、2019年7月。ISBN 978-4828421155

関連サイト

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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