柳俊之
日本のアマチュア野球選手 (1947-2025)
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来歴・人物
岩見沢東高校を卒業した後、上京し、芝浦工業大学に入学する。同期に豊田憲司、片岡旭、河村健一郎、1学年下に伊原春植がいた。大学卒業後は電電北海道に入社する。一時期は若松勉とともにプレーしていた。同チームのエースとして、1971年の第42回都市対抗野球大会の初出場にも貢献した。
1971年のドラフト会議で西鉄ライオンズから2位指名を受けたがこれを拒否。その後も、社会人野球でプレーし、第45回都市対抗野球大会では、大昭和製紙北海道の補強選手として、出場し、初優勝に貢献した。また、橋戸賞も受賞した[2]。
引退後はNTT北海道の監督を経て、公益財団法人日本野球連盟副会長に就任[3]。2000年に北海道野球協議会を設立し[4]、NPO法人北海道野球協議会の理事長を務めた[5][6]。
2021年2月から日本野球連盟北海道地区連盟会長を務めた[7]。2025年10月19日、膵臓癌のため札幌市内の病院において死去。77歳没[8]。