栗澤僚一
日本のサッカー選手
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来歴
兄の影響で[4]6歳の時に[2]サッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた[5]。トレセンでのプレーが認められ[5][6]、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため[5][6]全国的には無名の存在だった[7]。
習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け[6]、2001年に流通経済大学へ進学。同大学は強化に乗り出してから年が浅く、同年は茨城県大学リーグに所属していたが[5]、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習に取り組む姿勢から刺激を受け、阿部との好連携によってプレーも磨かれていった[7]。3年時には関東大学リーグ2部で優勝し、先輩の塩田仁史及び池田昌広と共にベストイレブンに選出された[8]。大学在学中の2004年から、特別指定選手としてFC東京に加入[9]。MFケリーの負傷離脱などによって出場機会を掴むと[10]、巧みなボールコントロールや基本技術の高さで信頼を掴み[11]、7月には翌年からのFC東京との契約を結んだ[3]。
2005年に大学を卒業してチームに再合流。シンプルに味方を使って[12] リズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーで貢献[13]。ルーキーながら同年のリーグ戦全試合に出場した[14]。Jリーグ初得点はJ1第4節ジュビロ磐田戦。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利を勝ち取る値千金の決勝弾だった[15]。2006年は負傷の影響で出場機会を減らしたが[1]、フォアザチームを体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた[16][17](2007年にパウロ・ワンチョペが10番を付けたため実現せず)。復調後は攻守のバランスを取りつつ[18] チームの潤滑油として奮闘を続けていたが[4]、2008年になると新加入のMF羽生直剛と役割が重なったことなどにより[19]、出場機会を激減させていた。
2008年8月、鈴木達也との交換トレードの形で[19] 柏レイソルへレンタル移籍[20][21]。谷澤達也の移籍によって空いた背番号28[注 1] を着用し、主に攻撃的な位置に入り[18]得点に絡むことを意識してプレーしていた[4][7]FC東京在籍時とは一転、ボランチとしてレギュラーに定着した。2009年も移籍期間を延長して拍でのプレーを続けたが[22][23]、チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を喫した。
2010年から柏へ完全移籍[24][25] となった。警告処分を厭わない[注 2] 守備でチームを支え、リーグ最小失点でのJ2優勝及びJ1復帰に貢献。翌2011年には右ボランチとしてレアンドロ・ドミンゲスと酒井宏樹の右サイドアタック陣を支え続けJ1優勝に大きく貢献した。同年にはFIFAクラブワールドカップ2011にも出場し、準々決勝モンテレイ戦でのPK戦ではキッカーも務めてベスト4入りに貢献した。その後もこぼれ球の予測に長けセカンドボール回収に優れる[2] ボランチの中軸として出場を続け、主将大谷秀和に代わってゲームキャプテンを務める機会もあり、2013年のヤマザキナビスコカップでは自身の手で優勝杯を掲げた[26]。また、同年3月にタレントの佐藤弥生と結婚[27][28]。ジョルジ・ワグネルが退団した2014年からはチーム最年長となり先発を外れる機会が多くなったが[29]、衰えない運動量で[30] 計算できる貴重な選手として[31] 重宝された。
2018年12月1日、現役引退が発表された[32]。2019年より柏レイソルのコーチに就任[33]。 2024のJ1第22節FC東京戦では、監督の井原正巳が体調不良のため、代行で指揮を執った。
人物
所属クラブ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | 流経大 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
| 2004 | FC東京 | 33 | J1 | 6 | 0 | 3 | 1 | - | 9 | 1 | |
| 2005 | 27 | 34 | 3 | 5 | 1 | 2 | 0 | 41 | 4 | ||
| 2006 | 13 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 16 | 1 | |||
| 2007 | 22 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 30 | 0 | |||
| 2008 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | 6 | 0 | ||||
| 柏 | 28 | 11 | 1 | - | 5 | 0 | 16 | 1 | |||
| 2009 | 32 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||
| 2010 | J2 | 31 | 0 | - | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
| 2011 | J1 | 31 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | ||
| 2012 | 26 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 33 | 0 | |||
| 2013 | 26 | 0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
| 2014 | 14 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
| 2015 | 19 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 22 | 0 | |||
| 2016 | 18 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 22 | 1 | |||
| 2017 | 7 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | |||
| 2018 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | |||
| 通算 | 日本 | J1 | 265 | 6 | 46 | 2 | 31 | 0 | 342 | 8 | |
| 日本 | J2 | 31 | 0 | - | 3 | 0 | 34 | 0 | |||
| 日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
| 総通算 | 296 | 6 | 46 | 2 | 35 | 0 | 377 | 8 | |||
- 2004年は特別指定選手として出場
その他の公式戦
- 2013年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 出場歴
タイトル
指導歴
- 2019年 - 柏レイソル
- 2019年 - 2024年 トップチーム コーチ
- 2024年7月 監督代行
- 2025年 - トップチーム ヘッドコーチ
- 2019年 - 2024年 トップチーム コーチ