桂文三 (2代目)
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| 2代目 | |
| 別名 | 提灯屋の文三 丁ちゃん文三 |
|---|---|
| 生年月日 | 1860年 |
| 没年月日 | 1891年5月7日 |
| 出身地 | |
| 師匠 | 3代目桂文吾 2代目桂文枝(桂文左衛門) |
| 名跡 | 1. 2代目小文吾(? - 1884年) 2. 2代目桂文三(1884年 - ?) 3. 3代目林家木鶴(? - 1888年) 4. 2代目桂文三(1888年 - 1891年) |
| 活動期間 | ? - 1891年 |
| 活動内容 | 上方落語 |
| 配偶者 | おさん(笑福亭鶴八の娘) |
| 家族 | 2代目林家木鶴(養父) |
| 所属 | 桂派 |
2代目 桂 文三(かつら ぶんざ、1860年(万延元年、逆算) - 1891年(明治24年)5月7日)は、明治期の上方落語の落語家(上方噺家)[1]。本名不詳[1]。
大阪・淡路町難波橋角の[要出典]提灯屋に生まれる[1]。初め3代目桂文吾の門下で2代目小文吾を名乗る[1]。小文吾時代は、2代目桂南光(後の桂仁左衛門)、初代桂小文枝(後の3代目桂文枝)とともに「三人兄弟」と称され、神戸の湊亭で人気を博した[1]。
後、2代目桂文枝(後の桂文左衛門)の門下へ移る[2]。1884年10月、2代目文枝の前名である2代目文三を襲名した[1]。同月16日より淡路町幾代、曽根崎幾代、賑江亭(しんえてい)で襲名披露を実施した[1]。
その後、2代目林家木鶴の養子となり、3代目木鶴を継ぐ[1]。しかし1888年に桂文三に復名し、その際「還名御披露 嘉入尽し 大都会ぶし」という摺物が出されている[1]。享年32(満30歳もしくは31歳)という若さで死去した[1]。墓所は養父の2代目木鶴と同じ大阪四天王寺(壽法寺)[要出典]。