桂仁左衛門

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本名深江 鶴吉
生年月日1854年
没年月日1911年11月12日
出身地日本の旗 日本
初代 かつら 仁左衛門にざえもん
初代 桂(かつら) 仁左衛門(にざえもん)
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 深江 鶴吉
生年月日 1854年
没年月日 1911年11月12日
出身地 日本の旗 日本
師匠 5代目林家正三
2代目桂文枝(桂文左衛門)
弟子 初代桂小南
2代目桂三木助
桂門三郎
初代桂南天
桂小南光
桂左衛門
仁太郎
桂仁鶴
名跡 延好
初代林家小正楽
時蔵
2代目桂南光
桂仁左衛門
活動期間 1873年 - 1911年
活動内容 上方落語
所属 桂派
主な作品
「三十石」

桂 仁左衛門(かつら にざえもん、1854年安政元年〉(月日未詳) - 1911年明治44年〉11月12日)は、明治期の上方落語落語家上方噺家[1]。本名:深江 鶴吉[1]

元は「西堀川」の木挽職人[1]。初め素人落語連に入り挽丸(引丸)を名乗る[1]1873年ごろに、5代目林家正三門下に入り延好、時蔵(襲名時期未詳)を経て、初代林家小正楽となる[1][2][注釈 1][注釈 2]。次に2代目桂文枝(後の桂文左衛門)門下に移り、時蔵(小正楽と時蔵は逆の可能性も[要出典])を経て、2代目桂南光を襲名した[1][4][注釈 3]。襲名後は桂派の中心人物の一人となった[1]

1907年1月、贔屓にしていた歌舞伎役者の3代目片岡我當11代目片岡仁左衛門を襲名した際、自らも桂仁左衛門に改名して、3月16日から4箇所の寄席で襲名披露を開く[1][注釈 4]。この改名は、歌舞伎の仁左衛門の承諾を得たものであった[2]

1910年12月に3代目桂文枝が没して桂派の勢力が低下する中でも存在感を示したものの、翌1911年には中風を発症して11月に死去した[1][注釈 5]享年58(満56歳または57歳没)[1]。墓所は大阪市東成区の大今里墓地で、法名は釋浄鶴[4]

芸風・人物

演目の中では『三十石』が名高く、特に作中で歌う「三十石うかれの舟唄」の美声が称賛された[1][6]。南光時代には『稽古屋』『先の仏』『猿回し』などが得意演目とされた[6]人情噺も東京の芸人が感嘆する口演だったという[1]

「大福餅」あるいは「アンパン」とあだ名されたほか、片足が不自由で高座ではその足を無造作に置いて演じた[1]。『古今東西落語家事典』は「洒脱で、俗受けを期待せず、芸をもって立つ芸人の風があった」と評している[1]

好角家でもあり、1903年12月には大阪相撲協会から「木戸銭御免」の札を贈られた[1]。『古今東西落語家事典』には愛犬を抱いた写真が掲載されている[1]

弟子

脚注

参考文献

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