桂仁左衛門
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元は「西堀川」の木挽職人[1]。初め素人落語連に入り挽丸(引丸)を名乗る[1]。1873年ごろに、5代目林家正三門下に入り延好、時蔵(襲名時期未詳)を経て、初代林家小正楽となる[1][2][注釈 1][注釈 2]。次に2代目桂文枝(後の桂文左衛門)門下に移り、時蔵(小正楽と時蔵は逆の可能性も[要出典])を経て、2代目桂南光を襲名した[1][4][注釈 3]。襲名後は桂派の中心人物の一人となった[1]。
1907年1月、贔屓にしていた歌舞伎役者の3代目片岡我當が11代目片岡仁左衛門を襲名した際、自らも桂仁左衛門に改名して、3月16日から4箇所の寄席で襲名披露を開く[1][注釈 4]。この改名は、歌舞伎の仁左衛門の承諾を得たものであった[2]。
1910年12月に3代目桂文枝が没して桂派の勢力が低下する中でも存在感を示したものの、翌1911年には中風を発症して11月に死去した[1][注釈 5]。享年58(満56歳または57歳没)[1]。墓所は大阪市東成区の大今里墓地で、法名は釋浄鶴[4]。