梁田貞

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1885-07-03) 1885年7月3日
出身地 日本の旗 日本札幌市
死没 (1959-05-09) 1959年5月9日(73歳没)
梁田 貞
梁田貞像(資生館小学校)
基本情報
生誕 (1885-07-03) 1885年7月3日
出身地 日本の旗 日本札幌市
死没 (1959-05-09) 1959年5月9日(73歳没)
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 教育者作曲家
テンプレートを表示

梁田 貞(やなだ ただし[注釈 1]〈てい〉、1885年〈明治18年〉7月3日 [1]- 1959年〈昭和34年〉5月9日[2])は教育者作曲家北海道札幌区(現・札幌市中央区)出身[3]

梁田貞作曲の『どんぐりころころ』の楽譜。
梁田貞作曲の『どんぐりころころ』の楽譜。

札幌区公立創成小学校[4]北海道庁立札幌中学校[4]札幌農学校予科[5]を経て、1905年(明治38年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)受験に失敗し、一時早稲田大学商科に在籍[6]中山晋平牛山充らと音楽学校への受験勉強に勤しみ[7]、1908年(明治41年)になって東京音楽学校予科に入学[8]。声楽と作曲を学び、1912年(明治45年)同校本科声楽部卒業[9]、1914年(大正3年)同校研究科声楽部修了[注釈 2][10]、1918年(大正7年)同校研究科作曲部修了[11]。大きな影響ないしは教科を受けたのは外国人教師であった。合唱の練習「コールユーブンゲン」や発声の勉強「コンコーネ」はアウグスト・ユンケルに、作曲はハインリヒ・ヴェルクマイスターに、声楽はハンカ・シェルデルップ・ペツォルトにそれぞれ師事した[12]

音楽教員としては、研究科在学中の1912年から1949年まで東京府立第一中学校(のち日比谷高校)で教えた[13]ほか、東京府立第五中学校成城尋常小学校東京外国語学校、母校である東京音楽学校、成城学園学習院玉川学園東京女子体操音楽学校東京都港区新星中学校など多くの学校で教鞭を執った[14][15]

代表作に、『城ヶ島の雨』(作詞北原白秋)、『どんぐりころころ』(作詞青木存義)、『昼の夢』(作詞高安月郊)、『隅田川』(作詞小松耕輔)、『木の葉』、『お玉じゃくし』(以上 作詞吉丸一昌)、『羽衣』、『あられ』、『てふてふ』、『たんぽぽさいた』、『鬼が島』、『とんび』(以上 作詞葛原しげる)など、多くの作曲を遺している。その他にも旧制七高寮歌 『楠の葉末』、日本大学二代目校歌、大東文化大学学生歌、秋田高校校歌なども手がける。

その遺した作品は、童謡、唱歌から歌謡曲にまで広がり、現在でも広く親しまれている作品は多い。また東京府立一中在籍当時、その風貌から「ライオン」「ライオン先生」の異名で呼ばれていたが、同居していた府立高等学校では「カバ」の異名であった。梁田自身は前者がお気に入りだった[16]。現在の日比谷高校の合唱祭における賞の一つ『梁田賞』は氏を讃えて制定されたもの。墓所は小平霊園(13-23-6)。

梁田貞を題材にした作品

参考文献

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI