初めは魏に仕え、天水郡の功曹を務めていた。建興6年(228年)、天水太守・馬遵の巡察に、姜維・尹賞・梁虔らと共に同行していたがちょうどその時に、蜀漢の諸葛亮の第一次北伐を受ける。馬遵は既に蜀軍が迫り、諸県がそれに呼応していると聞くと、同行している梁緒らが全員異心を持っていると疑い、夜間に逃亡して上邽に籠城した。梁緒らは馬遵の逃亡に気づくとその後を追ったが、既に城門は閉ざされ、入城は拒絶された。政庁のある冀県に戻ってもまた入城を拒否されたため、梁緒らは揃って蜀漢に降伏した。
後に梁緒の官位は大鴻臚にまで昇り、蜀漢の滅亡を前に没した。