梅北城
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概要
歴史
島津荘 を開発した太宰大監・平季基が創築したと伝わるが、詳細は不明である。
南北朝時代には南朝側の拠点となっており、15世紀後半の島津氏領有を経て、15世紀末には新納氏の領有となった。享禄元年(1528年)に伊東氏が攻め寄せると、新納忠勝は梅北城より兵を出し、一旦は冷水にて伊東氏の軍を破ったが、北郷忠相と結んだ伊東氏に再度攻められ、黒坂にて敗北して梅北城に逃げ込んだ。
その後、 天文年間(1532年~1555年)以降は北郷氏の支城となったが、豊臣秀吉の九州征伐後の文禄3年(1594年)に島津家領内で検地が行われると、北郷氏は祁答院へ移され、伊集院氏の所領となった。
慶長4年(1599年)に起きた庄内の乱では、梅北城は伊集院忠真の都之城を本城とする十二外城の一つとして、日置善左衛門、日置覚内、渋谷仲左衛門らが立て篭もったが、慶長5年(1600年)3月10日に降伏開城した。
降伏後、忠真は頴娃1万石へ移され、都城には旧領主であった北郷氏が復帰して乱は終結した。
