梅北町
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地理
歴史
地名の由来
一説によると、平重盛の病気平癒祈願のために開かれた西生寺が仁安3年(1168年)にこの地に移転され、梅が植えられたことが由来とされている。
阿彌陀堂の後、山中にあり、白梅なり、開山尋譽上人、唐土より携え歸て植うるといふ、樹古り、枝垂れて地に着き、朽根の所レ託なき如し、因て無根梅といふ、又此梅の枝、北方に向て繁茂す、此梅に因て、地名を梅北と號すといふ、今は住古の梅樹枯れて、其種の梅を植ゑ繼き、新樹一株あり、
梅北城
伝承によると、万寿3年(1026年)に、平季基によって築城されたとされ、季基の娘婿(又は孫婿)である伴兼貞(肝付氏の祖)が拠点とし、その子孫(肝付氏庶流)が梅北氏を称した。
交通
学区
施設
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
人口
沿革

- 明治初年(1868年) ― 薩摩鹿児島藩領として、「旧高旧領取調帳」に『都城郷(外城)梅北村』として記載されている。
- 明治4年7月14日(1871年8月29日) ― 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
- 明治5年5月15日(1872年6月20日) ― 都城県の管轄となる
- 明治6年(1873年1月15日) ― 宮崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年8月21日) ― 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
- 明治12年(1879年2月17日) ― 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての諸県郡が発足。郡役所が都城に設置。
- 明治16年(1883年5月9日) ― 宮崎県(第2次)が発足し、諸県郡のうち同県に所属する区域をもって北諸県郡が発足。戸長役場を倉園に設置。
- 明治22年(1889年5月1日) ― 町村制の施行により、豊満・梅北・安久の3ヶ村が合併し中郷村が発足。大字は旧村名を継承し、役場は安久に設置。
- 大正13年(1924年4月1日) ― 都城町が市制施行により都城市となり、郡から離脱。
- 昭和42年(1967年3月3日) ― 梅北村を含む中郷村が都城市に編入。以後、中郷地区梅北町となる[9]。


