梶本達哉

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-08-21) 1986年8月21日(39歳)
身長
体重
187 cm
72 kg
梶本 達哉
オリックス時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県西脇市
生年月日 (1986-08-21) 1986年8月21日(39歳)
身長
体重
187 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り NPB / 2007年 育成選手ドラフト1巡目
初出場 NPB / 2011年5月14日
最終出場 NPB / 同上
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

梶本 達哉(かじもと たつや、1986年8月21日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

プロ入り前

西脇高時代は、甲子園出場経験は無し。

高校卒業後は、天理大学へと進学するも休学し、2007年四国・九州アイランドリーグ愛媛マンダリンパイレーツに入団[1]。愛媛時代は29試合に登板し15勝6敗1セーブ、144奪三振、防御率2.27。最多勝のタイトルを獲得した。

2007年のプロ野球ドラフト会議オリックス・バファローズから育成1巡目で指名を受け入団。[2]

プロ入り後

2008年5月30日支配下選手登録される[3]ウエスタン・リーグでは24試合に登板し、0勝5敗で防御率4.29。勝ち星こそなかったが、チーム最多の投球回数となる77回2/3イニングを投げ、終盤にはクローザーも任された[1]

2009年5月25日、初めて一軍登録されたが登板機会の無いまま5月28日に登録抹消された。

2010年も、一軍登録されたが登板機会の無いまま抹消されシーズンを終える。ウエスタン・リーグでは7勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得し、台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。

2011年は、5月12日に一軍登録され、5月14日日本ハム戦でプロ初登板を果たした。しかし、その後の登板は無く、10月9日戦力外通告を受け[4]、12月2日に自由契約公示された[5]

2020年現在、 エネクラウド株式会社の部長として活動している。

選手としての特徴

最速149km/hのストレートスライダーが武器で、プロ入り後にフォークを本格的に磨き落ち幅の違う2種類を投げ分けていた[1][6]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2011 オリックス 100000000----91.1302001203320.253.75
通算:1年 100000000----91.1302001203320.253.75

記録

NPB

独立リーグでの投手成績

年度球団


















2007愛媛2941561.714158.2636144402.27
通算:1年 2941561.714158.2636144402.27
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 19 (2007年)
  • 114 (2008年 - 2008年5月29日)
  • 94 (2008年5月30日 - 同年終了)
  • 99 (2009年 - 2011年)

脚注

関連項目

外部リンク

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