森国五郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 出身地 日本 大分県生年月日 1919年9月1日没年月日 1945年(25歳没)身長体重 164 cm56 kg森 国五郎基本情報出身地 日本 大分県生年月日 1919年9月1日没年月日 1945年(25歳没)身長体重 164 cm56 kg選手情報投球・打席 左投左打ポジション 外野手プロ入り 1939年初出場 1939年3月19日最終出場 1941年11月17日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 旧制大分県立大分商業学校 大阪タイガース阪神軍 (1939 - 1941) この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 森 国五郎(もり くにごろう、1919年9月1日 - 1945年[1])は、大分県出身[2]のプロ野球選手。 旧制大分商業では、1938年の南九州大会を制覇し同年の甲子園に出場。1回戦では、チームメイトの浦野隆夫が台北一中にノーヒット・ノーランを達成するも、2回戦で金田正泰擁する平安中学に敗れた。 1939年に大阪タイガースに入団[2]。1年目から控え選手として54試合に出場。その後も外野の準レギュラーとして活躍していたが、1941年オフに召集され退団。1945年に戦死した(死没場所は不明)。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。 プレースタイル 俊足・好守の外野手であった。打撃の面では、1941年シーズンに記録した.227は、田中義雄の.229に続くチーム2位の打率であった[3]。しかし、長打力は低かったようで、俊足の割に単打が多かった。 一方勝負強い面もあり、1940年に行われた満州リーグでは勝利打点王に輝いている[4]。 詳細情報 年度別打撃成績 年度球団試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点盗塁盗塁死犠打犠飛四球敬遠死球三振併殺打打率出塁率長打率OPS 1939 大阪阪神 51564967000743--115--08--.143.222.143.365 1940 7715814062701029131--1125--018--.193.221.207.428 1941 6824622017503005374--8--17--120--.227.286.241.527 通算:3年 196460409298431089248--20327--146--.205.256.218.474 大阪(大阪タイガース)は、1940年途中に阪神(阪神軍)に球団名を変更 背番号 32 (1939年 - 1941年) 脚注 ↑ “森 国五郎”. 週刊ベースボールONLINE. 2026年2月20日閲覧。 1 2 『プロ野球人名事典 2003』日外アソシエーツ、2003年。 ↑ この頃は、戦中の質の悪いボールなどが原因で、総じて打率が低く、打率10位で山田伝(阪急)の.234であり、森の打率が極端に悪いとは言えない。 ↑ “16年 阪神vs朝日 11回戦”. 2026年2月20日閲覧。 関連項目 大分県出身の人物一覧 阪神タイガースの選手一覧 Related Articles