楠田芳子 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 (1924-03-12) 1924年3月12日没年月日 (2013-12-03) 2013年12月3日(89歳没)出生地 静岡県浜松市ジャンル 脚本家くすだ よしこ楠田 芳子 1958年生年月日 (1924-03-12) 1924年3月12日没年月日 (2013-12-03) 2013年12月3日(89歳没)出生地 静岡県浜松市ジャンル 脚本家配偶者 楠田浩之(1944年 - 2008年)(死別)著名な家族 木下恵介(兄)木下忠司(兄)楠田泰之(息子) テンプレートを表示 楠田 芳子(くすだ よしこ、1924年(大正13年)3月12日[1][2] - 2013年(平成25年)12月3日[3][4])は、日本の脚本家。 1924年(大正13年)、静岡県浜松市出身。木下恵介(映画監督)と木下忠司(作曲家)は兄。 1942年(昭和17年)、実践女子専門学校家政研究科を卒業。1944年(昭和19年)、楠田浩之(映画カメラマン)と結婚した[5]。楠田泰之(テレビプロデューサー・演出家)は息子である。 1965年から木下恵介プロダクション(ドリマックス・テレビジョンの前身)に参加し、1970年にフリーとなる。1993年(平成5年)には「シナリオ功労賞(第17回)」を受賞した[5]。 2013年12月3日に死去。89歳没。 主な作品 脚本・脚色 テレビドラマ 『氷点』(1966年) 「木下恵介劇場 / 木下恵介アワー」(TBS) 喜びも悲しみも幾歳月(1965年) あしたからの恋(1970年) 氷点(1966年、NET) 三人の母(1968年-1969年、TBS「ポーラテレビ小説」) 豆腐屋の四季(1969年-1970年、朝日放送) みんなで7人(1972年、TBS) 北の家族(1973年-1974年、NHK総合「連続テレビ小説」) 家族あわせ(1974年-1975年、TBS) 「月曜スター劇場」(NTV) ひまわりの詩(1975年-1976年) ひまわりの道(1976年-1977年) ひまわりの家(1977年-1978年) あすなろの詩(1978年-1979年) おだいじに(1979年-1980年) オレ達全員奈津子の子(1982年) 一人来い二人来いみんな来い(1980年-1981年、TBS) めぐりあいて(1981年、NHK総合) 母さん家においでよ(1986年、TBS) 映画 この広い空のどこかに(1954年) ママ横むいてて(1955年) 夕やけ雲(1956年) 涙(1956年) 二人だけの橋(1958年) 青空よいつまでも(1958年) 野を駈ける少女(1958年) 実いまだ青し(1959年) 母子草(1959年) 風の中の瞳(1959年) 若い涙を吹きとばせ(1961年) 故郷は緑なりき(1961年) ママおうちが燃えてるの(1961年) 純愛物語 草の実(1962年) 僕チン放浪記(1962年) かあさん長生きしてね(1962年) 風の視線(1963年) あねといもうと(1965年) 塩狩峠(1973年) 舞台 結婚行進曲[6] 舞扇[6] 作詞 風は旅人 - 赤い鳥(1973年度NHK朝の連続テレビ小説『北の家族』主題歌) 脚注 ↑ 会員プロフィール - 協同組合日本シナリオ作家協会 ↑ 「CD人物レファレンス事典 日本編」昭和・平成期 - JLogos 日外アソシエーツ ↑ 会員の異動 - 日本シナリオ作家協会 ↑ 月刊シナリオ2014年3月号「追悼 楠田芳子」 1 2 『現代日本人名録 2002』(日外アソシエーツ) 1 2 ゲスト情報 - 第4回 木下恵介記念 はままつ映画祭 2005 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、楠田芳子に関連するカテゴリがあります。 楠田芳子 のプロフィール - allcinema 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFWorldCat国立図書館ドイツアメリカ日本学術データベースCiNii BooksCiNii Researchその他Yale LUX この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。表示編集 Related Articles