横山作次郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 1864年(元治元年)、江戸の鷺宮で生まれる。
- 井上敬太郎(道場は湯島天神下)に天神真楊流を学び、他に起倒流を修行していた。兄弟子に三上富治(後、山形県警の師範となる。京都武徳殿で磯貝一、永岡秀一に勝ったこともある。また大東流合気柔術の武田惣角の弟子となった。)がいる。
- 1886年(明治19年)、23歳、4月に嘉納治五郎の講道館に入門。5月初段、9月二段。10月向ヶ丘弥生社警視庁武術大会で、1883年(明治16年)に初代警視庁柔術世話掛4人のうちの1人であった良移心当流柔術の中村半助(弘化2年11月16日(1845年(弘化2年) - 1897年(明治30年)で当時41歳)と55分試合し、三島通庸警視総監の裁定により引き分けとなる。
- 1887年(明治20年)、1月三段、同年警視庁柔術世話掛となる。
- 1888年(明治21年)、3月四段。
- このころ、警視庁柔術世話掛となった竹内流柔術の金谷仙十郎(養子前名は片岡仙十郎 1890年(明治23年)上京)と数十分試合をするが引き分けとなったことが有名となる[3]。
- 1893年(明治26年)、1月五段。
- 1896年(明治29年)、東京高等師範学校で柔道を教授。成績により級を決めた。
- 1898年(明治31年)、1月六段。
- 1904年(明治37年)、10月七段。
- 1908年(明治41年)、『柔道教範』出版。
- 1912年(大正元年)9月23日没。享年49歳。墓は東京都北区田端の大龍寺わきの墓地にある。
