横田荘

From Wikipedia, the free encyclopedia

横田荘(よこたのしょう)は、平安時代末から戦国時代にかけて、出雲国仁多郡にあった荘園。出雲における石清水八幡宮の経済基盤として発展し、鎌倉時代末には禁裏仙洞御料所となって戦国時代まで公用が納められた。16世紀に入ると、同荘の支配をめぐり尼子氏国人三沢氏による勢力争いが行われ、尼子氏の直轄となった。鉄の産出地としても知られる。

現在の島根県仁多郡奥出雲町横田にあった[1]保元3年(1158年)に「横田別宮」として史料上に現れたことから[1]、12世紀の段階には既に荘園が成立、石清水八幡宮寺領として発展したと考えられている[2]

荘園を構成したの広さは、現在の大字の竹崎・大呂・中村・稲原・横田・下横田・八川の範囲にあたった[3]。戦国時代には、荘内に中村・大呂村・竹崎村・原口村・下横田村・八川村の六ヵ村が確認される[4]。六ヵ村の内、中心となったのは中村であり、同村には市場や荘園鎮守があった[5][6]。また、鉄を産出したため、出雲国内の領主や尼子氏などの戦国大名に熟望された地であった[5]

石清水八幡宮から任命された荘官には、預所職・別当・公文などがみられる[7]。領主への年貢は米のほか銭納や金納が行われており、神用鉄も納められる場合があった[7]

また、荘園と関係の深い寺院として岩屋寺があった。同寺は八幡宮領の荘官にもなっており[7][8]、鎌倉時代には地頭によって度々横田荘内から寺領の寄進も受けた[9]。現在、東京大学史料編纂所に『出雲岩屋寺文書』が所蔵されている[1]

歴史

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI