横田隆雄
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俺についてこい
1948年11月、第3回福岡国体の開催終了後、小倉にあった自転車競技場を利用して、競輪の第一回の開催が行われることになった。しかし、開催にこぎつけるまでには苦労の連続で特に一番苦労だったのは選手がなかなか集まらなかったことである。
というのは当時、自転車競技選手といえば、学生以外は自転車メーカーに所属して選手生活を送っていたこともあり、海のものとも山のものとも分からない競輪に対し懐疑的な目で見ていて、なかなかプロ、つまり競輪選手になろうと考える選手はいなかった。
そんな折、当時日本有数の自転車産業の地であり、そのため自転車競技選手が多くいた大阪の代表格であった横田が後輩たちに「俺が競輪へ行くのなら、お前たちはついてくるか。」と呼びかけたところ、「横田さんが行くのならばついて行きます。」といって競輪入りする「アマチュア選手」が続々と現れるようになった。
大阪住之江競輪場誕生
初代ダービー王
第1回全国争覇競輪は競走車部門及び実用車部門で行われたが、競走車部門は甲規格(リムが金属製)と乙規格(リムが木製)に分かれていた。横田は甲・乙規格ともに圧倒的な強さでいずれも予選道中全勝で決勝へと駒を進め、甲決勝では戦前からライバルだった関東の早川清一らを退けたばかりか、乙決勝でも勝ち、甲・乙両方とも完全優勝を果たした[2]。
全国争覇競輪の第2回大会が同年10月、川崎競輪場で行われたが、横田は甲決勝を制し、同規格の連覇を果たすが、乙決勝は埼玉の小林源吉の6着と敗れ、2大会連続の甲・乙ダブル優勝はならなかった[2]。なお、乙規格は第2回大会をもって廃止された。
横田の第1回及び第2回の優勝年齢32歳は長らく、日本選手権競輪に名称が変わっても同大会最年長優勝記録となったが、2002年の第55回大会にて、山田裕仁が33歳で優勝して漸く塗り替えられた(現在の同大会の最年長優勝記録は2016年に優勝した京都の村上義弘の41歳)[2]。