渋谷小夜子
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父が郵便局員という家庭で育つ。「それまで自転車には乗れなかった」と言うが、既に競輪選手となっていた従兄の渋谷隆雄から「競輪選手になる気があるなら、学校帰りに来れば教えてやる」と言われ、自転車の練習を始める[2]。
プロデビュー後は下記の特別競輪獲得歴に示すとおり、女子競輪の黎明期において圧倒的な強さを誇り、田中和子が台頭するまでの間「女王」の名をほしいままにした。獲得賞金額も、1950年は70万3200円(4位)、1952年は183万9000円で田中和子(185万2200円)に次ぐ僅差の2位であった(1951年は資料毀損のため不明)[3]。
引退前年の1952年4月に福岡競輪場で行われた「第2回全国女子競輪選手権大会」で優勝し、表彰式でトロフィーを掲げている姿が共同通信のアーカイブで確認できる[4]。
「女は結婚しなければ」という思いから数年の現役生活で引退を決意し[2]、1953年4月20日付で登録消除[1]。引退後は、病院の受付をしたり日本鋼管(当時)などの民間企業や藤沢市役所に勤務した[2]。夫との間に1男がいる[2]。