渋谷小夜子

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1933-07-11) 1933年7月11日(92歳)
渋谷 小夜子
Sayoko Shibuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1933-07-11) 1933年7月11日(92歳)
選手情報
■最終更新日:2026年3月12日  テンプレートを表示

渋谷 小夜子(しぶや さよこ、1933年7月11日[1] - )は、元女子競輪選手。選手登録地は神奈川県日本競輪選手養成所が設立される前に選手登録された期前選手で、選手登録番号は144(女子)[1]。渋谷隆雄(選手登録番号319、神奈川県)は従兄[2]

父が郵便局員という家庭で育つ。「それまで自転車には乗れなかった」と言うが、既に競輪選手となっていた従兄の渋谷隆雄から「競輪選手になる気があるなら、学校帰りに来れば教えてやる」と言われ、自転車の練習を始める[2]

プロデビュー後は下記の特別競輪獲得歴に示すとおり、女子競輪の黎明期において圧倒的な強さを誇り、田中和子が台頭するまでの間「女王」の名をほしいままにした。獲得賞金額も、1950年は70万3200円(4位)、1952年は183万9000円で田中和子(185万2200円)に次ぐ僅差の2位であった(1951年は資料毀損のため不明)[3]

引退前年の1952年4月に福岡競輪場で行われた「第2回全国女子競輪選手権大会」で優勝し、表彰式でトロフィーを掲げている姿が共同通信のアーカイブで確認できる[4]

「女は結婚しなければ」という思いから数年の現役生活で引退を決意し[2]1953年4月20日付で登録消除[1]。引退後は、病院の受付をしたり日本鋼管(当時)などの民間企業や藤沢市役所に勤務した[2]。夫との間に1男がいる[2]

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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