橋本家 (子爵家)
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橋本子爵家は、清和源氏桃井義胤の9代孫で、越前国丹生郡西田中荘に住した橋本直安を祖とする[2]。
同家は元禄年間中に越前国福井藩士となり、代々医学をもって越前松平家に仕えた[1]。
幕末期の当主橋本綱紀(左内。贈正四位)は、藩主松平慶永を補佐して国事に奔走したが、安政の大獄で処刑された[1]。
その弟である橋本綱常が、綱紀の養子として家督相続。綱常も藩医として福井藩に仕え、戊辰戦争でも軍医として福井藩軍に従軍、会津征伐にも参戦した[1]。ドイツ・オーストリア留学からの帰国後[3]、明治10年に陸軍軍医監に就任。明治18年に陸軍軍医総監に昇進。また貴族院議員や枢密顧問官にも就任[1]。東京帝国大学医学部教授、日本赤十字社病院長なども歴任[3]。
日清戦争では広島大本営に勤務し、その勲功により明治28年10月31日に華族の男爵に叙せられた。日露戦争中に再び陸軍軍医総監に就任し、その勲功により明治40年9月23日に子爵に陞爵した[1][4]。
明治42年2月18日に綱常は死去し、次男の長俊が爵位と家督を相続[1][3]。長俊は陸軍士官学校を卒業した後、陸軍騎兵中尉まで昇進して参謀本部員となった陸軍将校である[1][3]。予備役入り後は実業家となった[3]。昭和前期の橋本子爵家の住居は東京市渋谷区永住町にあった[3]。
昭和16年11月17日に長俊が死去し、長男の長久が爵位と家督を相続したが、長久は昭和21年4月7日に死去し、弟の長正が爵位と家督を相続した[1]。長正は海軍主計中尉で、日本債券信用銀行役員だった[1]。