橋本幸一
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ハシモト コウイチ | |||||
| ラテン文字 | HASHIMOTO Koichi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年1月13日(56歳) | |||||
| 身長 | 170cm | |||||
| 体重 | 68kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1981-1983 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1984-1989 |
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| 1990-1992 |
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| 1993-1994 |
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| 1995 |
| 0 | (0) | |||
| 1997 |
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| 1999 |
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| 2001 |
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| 2001-2002 |
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| 2002-2003 |
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| 通算 | 0 | (0) | ||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
橋本 幸一(はしもと こういち、1969年1月13日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。引退後は、サッカー選手の代理人を務めている。
1984年、ブラジルに渡りキンゼ・デ・ジャウーの入団テストに合格し入団。5月には、タッサ・サンパウロ・デ・インファンチュウ(14歳~15歳までのブラジル全国大会)に、10番の背番号をつけて出場。ベスト8入りを果たす。
同チームは、1986年4月。サンパウロ州地方大会で金メダル。6月にジュベニール選手権ベスト4入りを果たす。1987年、3月にカンピオンエス・カンピンエス(チャンピオンリーグ)にて優勝。同年、8月、サンパウロ州選手権プロリーグ、対ジュベントス初出場、初アシストを果たす。
1988年にブラジルのプロサッカーの登竜門である、タッサ・サンパウロ・デ・ジュニオールに出場。その後、地方プロリーグを経験する。
1993年12月に念願であった、ブラジル最高峰チームのコリンチャンス・パウリスタに入団を果たす。日本人としては初めてであり、マスコミ的にも話題になる。
1994年4月、武田薬品アリナミンVのコマーシャルのメインキャラクターに起用される。
1995年7月から12月まで、Jリーグ・柏レイソルに所属。同年、柏レイソルを退団後、ブラジルに戻り、再びブラジルでのプロリーグを目指し、カルデンセなどの地方プロリーグでプレイを続ける。
2001年1月ブラジル・パラナ州1部リーグパラナ・クラブに入団。同州選手権に、レギュラー選手として活躍。ブラジル南部の各州の4大人気チーム(インテルやクルゼイロなど)が参加する有名カップ戦、コパ・スーミナス選手権出場。
2002年6月プロ選手として引退する。
現役引退後は、ブラジルからサッカー選手を派遣する会社のオーナーとなっている[1]。
ブラジルに渡ってプロサッカー選手をしている彼をイメージキャラクターとしたドラマ『オレたちのオーレ!』においてテクニカルアドバイザーとして、主演の俳優である、大鶴義丹に技術指導。その後、同氏とは長年の親交がある。
また、同ドラマへの出演を機に大鶴義丹と結婚(後に離婚)したマルシアとも親交が深い。
引退後、サッカー知識とポルトガル語を活かし、ブラジルサッカー選手をJリーグに移籍させるエージェント『BBAプロモーション』の代表取締役となる[2]。多数のブラジルサッカー選手を日本に移籍させており、代表的な選手は清水エスパルスやガンバ大阪で活躍したアラウージョである。
2007年、ブラジルで日本人として初めて、ブラジルサッカー協会公認 (CBF) のエージェント免許を所得している。
所属クラブ
- 1981-1983
三菱養和SC(玉川学園中等部) - 1984-1989
キンゼ・デ・ジャウー - 1990-1992
セントラルSC - 1993-1994
SCコリンチャンス・パウリスタ - 1995
柏レイソル - 1997
福島FC - 1999
ジュアゼイロSC - 2001
パラナ・クルーベ - 2001-2002
サンタクルスFC - 2002-2003
AAルジアニア
個人成績
CM出演
- 武田薬品工業 - アリナミンV (1994)