櫛石窓神社
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位置
北緯35度6分44.6秒 東経135度19分49.1秒 / 北緯35.112389度 東経135.330306度座標: 北緯35度6分44.6秒 東経135度19分49.1秒 / 北緯35.112389度 東経135.330306度
主祭神
櫛石窓命
| 櫛石窓神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 兵庫県丹波篠山市福井1170 |
| 位置 | 北緯35度6分44.6秒 東経135度19分49.1秒 / 北緯35.112389度 東経135.330306度座標: 北緯35度6分44.6秒 東経135度19分49.1秒 / 北緯35.112389度 東経135.330306度 |
| 主祭神 | 櫛石窓命 |
| 社格等 |
式内社(名神大2座) 旧県社 |
| 創建 | 不詳 |
| 例祭 | 4月29日[1] |
| 地図 | |
一の鳥居
祭神について
歴史
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によれば、当時の「櫛石窓神」には丹波国から神封5戸が充てられている(文献上初見)。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では丹波国多紀郡に「櫛石窓神社二座 並名神大」と記載され、2座が名神大社に列している。また、平安時代中期-末期頃の作と見られる神像3躯(国の重要文化財)が現在まで伝世される。
中世には「大芋社」と見える[4]。また、応仁の乱ののち度々戦火に遭い、永禄10年(1567年)に再建された[4]。しかしながら天正年間(1573年-1592年)に明智光秀の兵火で全焼し、社領もほとんど没収されたという[4]。
近世の造営を伝える棟札には、寛文3年(1663年)の本殿造営時、安永4年(1775年)の拝殿造営時のものがある[5]。近世には「櫛岩窓大明神」と呼ばれ、「大宮寺」という神宮寺もあった[4]。
境内
摂末社
文化財
重要文化財(国指定)
- 木造櫛岩窓命坐像・木造豊岩窓命坐像(彫刻) - 指定名称では「櫛岩窓命」と表記。平安時代の作。明治44年4月17日指定[7][8]。
- 木造大宮比売命坐像(彫刻) - 平安時代の作。明治44年4月17日指定[9]。
神道では元来偶像を祀る習慣はなかったが、仏教の影響で神像が製作されるようになった。神像の製作は文献上は8世紀からみられるが、現存遺品があるのは平安時代初期以降である[10]。当社の像は古い神像の特徴を有しており、平安時代中期から末期の造像と見られている[11]。なお、櫛石窓命坐像・豊石窓命坐像は1981年12月から1982年4月までの間(日付の特定不能)に盗難に遭っている[12]。

