歌川国丸
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本姓は前田、通称文治[1]。伊勢屋伊八とも称す。歌川の画姓を称し、一円斎、五彩楼、軽雲亭、彩霞楼、翻蝶庵と号す[1]。初めは画名を文治と称した。
江戸の生まれで、父は本町二丁目で質屋を営む[1]。初代歌川豊国の門人で、田川鳳朗の門人であったこと以外の詳細は不明[1]。渓斎英泉編『無名翁随筆』には「風流に遊び、諸名家の交り深く、俳諧をたのしみとす、鴬立(田川鳳朗)の門葉なり」とあり、俳名を竜尾と称したという。
作画期は文化から文政にかけての頃で、文化6年(1809年)刊行の合巻『花鳥風月仇討話』の挿絵を初めとして、以後合巻の挿絵を数多く手がけた他、浮絵や美人画を残す[1]。一方で、特別に好評を博した作品はなかった[1]。享年37[1]。墓所は浅草新堀端厳念寺。
門人に歌川広重の門人ともされる歌川重丸、歌川年丸、歌川輝人がいる。初代豊国門下では歌川国安、歌川国直と並ぶ筆達者で、三羽烏と呼ばれた。