戯作者の春亭三暁の弟で信濃国の生まれ[1]。文化6年(1809年)頃、初代歌川豊国の門人となる[1]。文化9年(1812年)、式亭三馬『昔語丹前風呂』の挿絵を手がけたのが初筆である[1]。これ以降、式亭三馬の作品を中心として、合巻や滑稽本の挿絵を数多く手がけた[1]。文政期から天保期初期にかけては活動が見られないが、天保4年(1833年)『春色辰巳園』の挿絵を手がけてからは人情本の挿絵を中心に手がけた[1]。嘉永元年(1848年)から死去するまでの6年間は活動しなかった[1]。享年62。墓所は八王子市大横町の極楽寺、法名は高琇琮運居士。
門人に竹斎龍子、歌川直貞、歌川直房、歌川直重らがおり、同門の歌川国芳に影響を与えた。