正木利英
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天正2年(1574年)羽生城の戦いでの功績により、主君成田氏長から栢間に加え郷地と笠原を与えられた[2]。
『忍城戦記』などによれば、天正18年(1590年)に忍城の戦いが起きた際には、正木は忍城の東南に位置する「佐間口」(北緯36度8分2.69秒 東経139度27分42.36秒)を守備し、豊臣方の長束正家の軍勢と戦闘を繰り広げたとされている[3][4]。
忍城の戦い後、主君である成田氏には付き従わず、正木は武士の身分を捨て現地に留まると、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に高源寺を建立、守天和尚を招き開山した[3][4][5]。正木は天正19年(1591年)に没するが、その墓は境内に現存している[1][3]。